小学1年から野球を始め、桐蔭学園から桜美林大野球部の硬式移行後の1期生として入学。父譲りの堅実な守備を売りに首都2部リーグで3度ベストナインに選ばれたが、プロから声がかからなかったため、卒業後、同大のコーチに就任した。
だが、夢をあきらめきれず、14年に渡米してサマーリーグに参戦。帰国後、両打ちの内野手として巨人のテストを受験し、同年のドラフトで育成2巡目指名された。
プロ入り後は右打ちに専念し、2年目から3軍監督になった父と二人三脚で課題の打力向上に取り組んだが、育成3年目の遠征中、父から直接戦力外になる旨を伝えられた。
翌18年、社会人のエイジェックに選手兼コーチとして入団。現役引退後は同社の女子硬式野球部の副部長兼コーチに就任し、昨年、部長兼ヘッドコーチになった。
07年に四国アイランドリーグ・高知から育成1巡目でヤクルト入りした小山田貴雄は、日本ハム、ヤクルトの捕手・小山田健一の次男、08年に東海大相模から育成3巡目でロッテ入りした角晃多は、巨人の守護神として活躍した角盈男の次男。どちらもプロではばたくことなく、現役生活を終えている。(文・久保田龍雄)