広大なアフリカ大陸のうち25カ国を訪ねてきた、フリーランスライターで武蔵大学非常勤講師の岩崎有一さんが、なかなか伝えられることのないアフリカ諸国のなにげない日常と、アフリカの人々の声を、写真とともに綴ります。
岩崎さんが取材を続ける、西アフリカのマリ。2012年に始まったマリ北部での紛争(※注1)のせいで、多くの街で住民が避難を余儀なくされました。13年に初めて訪れた「いいところ」という名の避難民(※注2)の街で、岩崎さんが感じた辛さと、歯がゆさとは……。
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13年の8月、私はマリに暮らす友人のハミドゥとともに、モプチから小舟に乗ってニジェール川の対岸を目指していた。小舟に原動機はなく、船頭が5~6メートルの長さのさおで川底を押しながら、川の流れに少しだけ逆らいつつ、船首を向こう岸へと向けて進む。ニジェール川の流れは緩く、じっと目を凝らしていなければ、どちらからどちらへ向けて流れているのかもわからない。周囲から聞こえてくるのは、小舟が川面を切る波音ばかり。持ち込んだ炭火で入れたお茶をすすりながらの、静かな、静かな1時間弱の船旅だ。
「舟に乗って避難民が暮らす地域を訪ねてみるのはどうだろう。いい経験になると思う」
マリ北部にある、紛争に巻き込まれた街、トンブクトゥを訪ねてみたかったものの、現地へ向けてたつ車が見つからずに意気消沈していた私に、モプチに暮らす友人のハミドゥが提案してくれたのだった。
これから向かう地域の名は、“Bien Ville(ビアン・ビーユ)”。なんとも訳しにくいが、あえて直訳するなら「いいところ」となる。もともとここは、ニジェール川で漁労を営むボゾ族が多く住む地域だった。しかし、2012年に始まったマリ北部における紛争にともない、同国北部のトンブクトゥや東部ガオから戦火を逃れてやってきた避難民に向けて、モプチ市がこの場所を開放。以後、ソンガイ族をはじめとする北部からの避難民がここに暮らしている。
ビアン・ビーユの船着き場に小舟を寄せ、歩みを進める。国連のロゴが描かれたテントが並ぶ難民キャンプのような様相はなく、ボゾ族の家並みがとぎれとぎれに点々と続く。上下水道も電気もひかれておらず、対岸のモプチにはあふれるほどに走っているバイクも、ほとんど見ることがない。
「この日本人は、マリの現状を日本に伝えるためにやってきました。あなたが『北』で見たことを、話してほしい」
ハミドゥが慎重に言葉を選びながら声をかけていくと、遠巻きに私を見ていた人々が、ソロソロと集まってきた。
「アルカイダは、家、学校、病院、すべてを壊しました。何もかも残して、村から逃げてきました。ほんとうに恐ろしかったです」
「(汚い)川の水を飲むしかありません。飲み水がほしい。食べ物にも困っています。今は、あんな魚を食べるしかないのです」
ビアン・ビーユの家々で見かけたのは、茶わん一杯程度の豆アジほどの大きさの魚だった。濁った川の水を飲み、この小魚だけでしのぐ生活を知った私は、質問を続けるのが辛くなった。