14年の8月末、私は再びビアン・ビーユを訪ねた。家並みを練り歩いていると、表情を失ったファルマタさんを見つけた。なぜ故郷に帰らないのか、彼女に質問した。
「家が壊されているから、帰れません。準備ができたら帰りたいですけれど、お金がありませんし。ここでの生活に、疲れきっています」
ファルマタさんは確かに疲れた様子だったが、以前に見られた、おびえたような様子は、すっかりなくなり、妙な落ち着きを感じた。この時まだビアン・ビーユに暮らしていた避難民はみな、心のどこかで、この地で暮らす覚悟を決めていたのかもしれない。
16年の2月、私はまた、ファルマタさんを訪ねた。ファルマタさんは私の顔を見ると、歓喜の声をあげて近づいてきた。
「主人が、(モプチ近郊の町)セバレで、家の内装を手掛ける仕事に就きました。できればトンブクトゥへ戻りたいのですが、今は戻れません。主人の仕事がなければ、子どもたちを育てることができませんから」
彼女は大きくなったおなかをさすりながら、満面の笑みでこう話してくれた。
IOM(国際移住機関)によると、16年4月時点におけるマリ国内避難民の数は3万6762人。13年6月にピークとなった35万3455人と比べれば、およそ10分の1にまで激減した。一方、マリ国外での生活を余儀なくされている難民の数は、13年5月に16万9147人のピークに達して以降、16年4月時点においても13万4826人と、微減にとどまっている。帰還者の数は増えているとはいえ、まだ多くの人々が、自分の町を離れた暮らしを余儀なくされている。
ビアン・ビーユに暮らす避難民は年々減少しており、そこに残留する人々も、一見すると、少しずつ明るさを取り戻しているように見える。しかし、彼らが避難民であることに変わりはない。戻りたいけれど、戻れない。ここで、生きねばならない。避難生活を続ける人々を前に、私は、「住めば都ですね」という気持ちにはなれない。
ファティマさんのご主人が仕事を見つけられたことも、新しい命を授かったことも、私だって、うれしい。ただ、彼女たちがここでの生活を強いられていることを思うと、おめでとうと声をかけることはできなかった。
トンブクトゥの周辺では、今も小さな戦闘が散発し、不安定な状況が続いている。いつか彼らにとって本来の“いいところ”を取り戻せる日がくることを、私は願ってやまない。
【※注1 マリ北部における紛争】
2012年よりマリ北部を中心に続く武力闘争。マリ北部の自治拡大・分離独立を求める現地勢力に加え、リビアのカダフィ政権崩壊に伴い武器とともに流入した外国人勢力や、AQIM(イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ)と共闘する勢力など、複数の出自の異なる勢力がマリ政府に対し攻撃を続け、一時は同国北部の3都市(キダル・トンブクトゥ・ガオ)が反政府勢力によって占領された。その後、フランス軍やチャド軍の介入により北部は奪還され、MINUSMA(国連マリ多面的統合安定化ミッション)の常駐により、一程度の平穏は得られているものの、散発的な攻撃やテロは治っておらず、予断を許さない状況にある。
【※注2 難民と国内避難民】
ハミドゥや現地の人々は、北から逃れてきた人々を指す言葉として「難民」を用いていたが、国連など国際機関では、国境を越えずに自国の中で避難生活を続ける人々のことを「国内避難民」と称し、難民とは区別している。本稿はマリ国内に限った内容であることから「避難民」と省略した。
岩崎有一(いわさき・ゆういち)
1972年生まれ。大学在学中に、フランスから南アフリカまで陸路縦断の旅をした際、アフリカの多様さと懐の深さに感銘を受ける。卒業後、会社員を経てフリーランスに。2005年より武蔵大学社会学部メディア社会学科非常勤講師。ニュースサイトdot.(ドット)にて「築地市場の目利きたち」を連載中