著者の最新作『社会という「戦場」では意識低い系が生き残る』

 小学校に入学をしたときに『一年生になったら』という歌を、覚えたり歌ったりした方も多いと思います。とてもキャッチーで、明るい歌ですよね。一年生になるワクワク感が高まってくるような歌詞です。なので、当時6歳の私も「自分も100人友達ができればいいなぁ」となんとなく思ったことを、今でも覚えています。

 この歌を通して、学校の先生は「友達は多ければ多いほど良い」と子どもたちに伝えます。では本当に、友達は多くないといけないのでしょうか。
 

 学生、自衛隊でさまざまな経験をしてきた今の私にとっては、それは「NO」です。

 先ほど書いたように、友人を「本音を語り合える存在」として捉えるのであれば、大人になってからは、どうしても絶対的に数は少なくなるはずだからです。

 つまり、学生のときは、考えていることが似たりよったりで、お互いの家も近く、家の経済的な状況もそこまで大きな違いがないため、本音で語り合える友人は多かったかもしれません。しかし社会人になると、収入や肩書、結婚子育て、さらには目指すべき生き方など価値観の違いが明確になります。年齢を重ねれば重ねるほど、お互いに価値観のズレが出てくるのは当たり前なので、学生時代の友達だとしても「昔は仲がよかったけど、モヤモヤするぞ……」ということはよくあります。

 こうしていつの間にか「言いたいことを上手く言えない関係」になり、結果としてかつての友達は「友人」から「知り合い」へと変わっていってしまうのです。
 

 私は「知人はたくさんいたほうがいいが、友達は両手で数える程いればいい」と常々思っています。

 たしかに、知人が多ければ多いほど、自分の考え方には幅が出ます。しかし、本音を語り合える友達は10人もいれば十分です。ちなみに、その10人とも年月を経て、考えが合わなくなることなんてよくあります。

「友達はたくさんいればいるほどいい」から「本音を話せる人が数人いればいい」と考えかたを変えてみれば、誰かと無理に同調したり、本当の自分をずっと押し殺したりする必要がなくなるはずです。

 たとえ、自分の生きている社会が「つまらない茶番劇」だとしても、自分の人生まで茶番劇にする必要はないのです。

 だからこそ、周りに意識を合わせて、あえて自分を大きく見せたりせずに、むしろ「自分は自分だ」と割り切って、自分の軸を持ってあえて「意識低い系」としてふるまってみてもいいかもしれませんよ。

 この世の中は、もはや「戦場」です。飛び交う銃弾やうわさ話に右往左往していたら身が持ちません。また着飾った自分自身のイメージを保つよりも、生身の自分自身を守るために、今こそ意識を低く生きてみようではありませんか。

(ぱやぱやくん)

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