鴻上:海外で演劇のワークショップとかをやると、音痴でも堂々と歌ったり、ふくよかな方がボディーラインがはっきり出るような服で自分を語ったりする人をよく見かけます。誰になんと言われようが私は私だ、私はこのセンスが大好きなんだっていう、ルッキズムに対抗する考え方や力もあるんですね。日本の場合は見かけなんかにとらわれず、これが私のチョイスです、と主張できる若者はまだまだ少ない。ちゃんと自分が自分であることを主張できる教育はやはり大事だと思います。
野水:私は名古屋大学に在籍している時に、留学生向けの英語で教えるプログラムを設立・運営しましたが、欧米や中国の学生たちはやはりすごく自己アピールする。そしてどんどん先生に質問をするという文化があります。それに対して日本人の学生はあまり質問をしないですね。日本は小さい頃に目立つことを避ける文化が作られてしまっているのかなっていうことを感じます。そういう意味ではやはり海外のいろんな留学生との交流や、自分が海外に行くという体験も、とても大事かなと感じています。開成の生徒には大学に行ったら、ぜひ留学をしてほしいと伝えています。
管理しすぎず見守る
鴻上 先生たちの中には「うちは開成さんのように賢いレポートを出せる生徒ばかりがいる学校じゃない」と思っている人がいるかもしれない。それこそこんな本を渡されたら教師の目の前で床に叩きつける子もいるかもしれない。さあ、そうなったら教師としてどうアプローチするのか。どうしたら当事者意識を持ってもらえるようになるのか。教師個人だけじゃなくて校長含めて学校全体で話し合っていく必要があると思います。
野水:管理しすぎてもいけないし、やりたい放題でもいけない。ある程度じっと見守ることが必要です。教師から先に言い出してしまうと「先生が言ったから」といった形で動いてしまうのもちょっと違う。
鴻上:一部の教員はもうとにかくまとまればいいんだ、と思っていて、別の人たちはちゃんと生徒の自立心を育てていくんだって言っていたらバラバラな教育になってしまい、それがいちばん良くないと思います。まずは校長が腹をくくって、何を選ぶかということを決めて教員同士でコンセンサスを取らないといけないでしょうね。
野水:校長の責任を再認識します。
(構成/編集ライター・江口祐子)
※AERA 2024年10月21日号より抜粋・加筆