僕の政治的立場は、せいぜいのところ、中道左派ですよ。いわゆるリベラルで、そんなに過激なことを言っているわけじゃない。世界中のどんな作家と話しても、ある意味、面白みがないくらい、政治的には似た意見を持ってます。韓国でもアメリカでもフランスでもそうですが、“個人の権利を尊重して、平等であるべき”というのは、概ね一致している。僕の読者もそういう人が多いですし、SNSで発信したからといって、読者を失うという心配はしていないですね。実際は減ってるのかもしれないけど、発言に共感して本を手に取ってくれる人もいますから、プラスマイナスはわからないです。あと、これは東日本大震災のときに感じたことですが、たとえば「原発に反対」という意見は、テレビやラジオに出ている人は言いづらいんだと思います。さまざまな利権の問題が絡んできますので。一方で僕のような小説家は、別にメディアに出るのが本業ではないし、作品を気に入った人、興味がある人が買ってくれる、というだけなので、原発に反対したところで、個人的には何の不利益もない。文学者は伝統的にそうでしょうし、「いろんな意見を言いやすい立場なんだから、言ってほしい」という期待もある気がします。

今の世の中は、何かを残すことを美化しすぎている

――小説、そしてSNSを通して現代の社会と向き合っている平野さんですが、一方で、ご自分の作品が50年後、100年後の人にどう読まれるかについて意識することはありますか?

 今は考えなくなりましたね。昔はロマン主義者で、画家のドラクロワが、自分の取り組んでいる研究は、100年後、200年後も価値があると語っていたことなどに、非常に共感していたんですよ。自分もそういう考えで仕事をしたい、と。生きている間に褒められようが貶(けな)されようが、長く読まれることが大事だと。最近はそうでもなくて、自分が死んだ後の作品のことは、もう考えなくなりました。瀬戸内さんも「今の作家は死んだら忘れられる」といつも仰ってましたが、僕もそうだろうなと思います。

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