小説家の平野啓一郎さん。2024年10月17日に短篇集としては10年ぶりの新作『富士山』(新潮社)が刊行された(撮影/品田裕美)
この記事の写真をすべて見る

新作短篇集『富士山』を上梓した平野啓一郎さんへのロングインタビュー後編をお届けする。(前編はこちら

【写真】平野啓一郎さんの別カットはこちら

* * *

――短篇集『富士山』に収められている「息吹」は“たまたま大腸検査の話を耳にした男性が、自分も受けてみようと思い立つ”というところから物語がはじまります。

「息吹」の取っ掛かりには、僕の実体験もあるんですよ。僕は来年50歳になりますが、アラフォーのころまではどちらかというとメンタルヘルスを心配していたんです。周囲にも鬱(うつ)になってしまう人が多かったし、よほど準備していないと大変だなと思っていて。ただ、40代後半になると、背中や腰が痛くなったり、胃の調子が悪くなったりと、フィジカルの問題の方が色々出てくるんですね。ちょうどそのタイミングでたまたま知人から「大腸内視鏡検査を受けたら、大きなポリープがあって切除した」という話を聞いて、なんとなく自分も受けてみたんですが、僕にもポリープがあって、医者に「放っておいたら、がんになる可能性のあるものです」と言われたんですね。もし知人から検査の話を聞かなかったらどうなっていたかな?と考えると嫌な気分になって、「そんなことで人生が決まっていいんだろうか?」とも思ったんです。それは一つの例ですが、そうやって小さい偶然に人生を左右されることもあるし、それは努力や能力とは関係ない。そのあたりのことも小説として書きたかったんです。

現在は“あり得たかもしれない人生”を考えてしまうことが多い時代

――偶然や“たまたま”に左右されることもある人生をどう受け止めるか?という提示でもあるのでしょうか。

 現在は“あり得たかもしれない人生”を考えてしまうことが多い時代だと思うんです。インターネットを通じて世界中の人々の状況が伝わってくるし、「違う国に生まれていたら、どうなっていただろう?」みたいなことも想像しやすい。多様性が強調されるなか、「別の人生もあったんじゃないか」という想像力を刺激されるといいますか。ライトノベルやアニメなどで“転生もの”がはやっているのも、その表れかもしれない。その一方で、偶然によって人生が左右されることに対する感受性が鈍くなっているんじゃないかという気もしています。

次のページ
偶然性に対する感受性が重要