平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)/小説家。1975年愛知県生まれ、北九州市出身。1999年、京都大学法学部在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。以後、一作毎に変化する多彩なスタイルで、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。(撮影/品田裕美)

 たとえば以前はもっと「本屋で何げなく手に取った本がすごくよかった」ということがありましたが、今はインターネットで目的の本を購入する人が増えていますよね。広告にしても「目立つところに広告を出して、それを見た人が商品を買うことを期待する」というモデルだったものが、今はネットの閲覧履歴によってカスタマイズされている。ドラマもそうで「偶然、あの人と出会って」というエピソードがあると、どこかわざとらしく感じてしまう人が多いと思うんですよ。

――確かに運命の出会いなんていうと、「ベタなドラマじゃないんだから」と思ってしまいますよね。

 でも実際には、偶然や“たまたま”が人生に影響を及ぼすことはとても多いはずなんです。そのことを自覚できると、今の状況が不幸でも幸福でも、自分の人生を客観視できます。成功している人は「俺の実力でこうなった」ではなく「運も良かった」という謙虚な気持ちになるだろうし、うまくいっていない人も「不遇だったのではないか」と思えば、思いやりの気持ちも芽生えます。自分や他者への見方が変わるという意味でも、偶然性に対する感受性を取り戻すのは重要だと思います。

――同じような境遇だったはずの学生時代の知り合いの人生も、当然ですが、人によってさまざまですからね。そういう情報はSNSを通して簡単に知ることができますし。

 小学校のころの友達の状況などを見ると、不思議な気持ちになりますよね。「自分がもし地元に残っていたら、どんな人生だっただろう?」と考えたり。僕は京大に行きましたけど、それは高校時代の先生に「お前は変わってるから、東大より京大に行け」と言われたのが一つのきっかけだったんですよ。先生は何気なく言ったと思うんですけど、だんだん「そうなのかな」という気がしてきて(笑)。東大に行っていたら小説を書いてなかったかもしれないし、そういう偶然はいろんなところにあると思います。

――SNSと言えば、平野さんもX(旧Twitter)を通して、社会的、政治的な意見を発信しています。平野さんのコメントがネット上で“こたつ記事”にされることもあるし、ストレスの火種にもなるかと思うのですが、それでも発信を続けているのはどうしてですか?

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なぜSNSで発信するのか