江戸時代の画家・土佐光起が描がいた「清少納言図」/ColBase(https://colbase.nich.go.jp)
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 大河ドラマ「光る君へ」も終盤戦。10月6日に放送された38話では、ききょう(清少納言)がまひろ(紫式部)のもとを訪ね、自身が仕えた亡き中宮・定子の思い出をつづった『枕草子』から、一条天皇の関心を奪った源氏の物語を「恨んでおりますの」と告げるシーンが描かれた。

 紫式部は、『源氏物語』と同様に第一級の文学作品とされる『紫式部日記』も残しているが、ここで清少納言を「高慢で利口ぶっている」「漢学の才をひけらかしている」と激しく罵倒している。そのため、二人はライバル関係にあったと思われがちだが、紫式部が宮中に出仕したのは清少納言が去ったあとで、顔を合わせた可能性は低いとされている。

 一方で、『源氏物語ものことひと事典』(砂崎良著)によれば、『源氏物語』に先行する『枕草子』で清少納言が特筆した春の曙、冬の雪山などが、『源氏物語』に影響を与えたという見方もあるという。

 日本を代表する古典文学として世界中で読み継がれる『源氏物語』にも影響を与えた『枕草子』。作者の清少納言の人物像を、10月18日に発売される『清少納言へタイムワープ』を先取りする形で紹介したい。

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 今からおよそ1000年前の平安時代中期に生きた清少納言。毎日の暮らしの中で、見たことや感じたことなどを思いのままに書き記した『枕草子』を残した、平安時代を代表する文学者だ。

「宣房本三十六歌仙絵 清原元輔」/ColBase(https://colbase.nich.go.jp)

「清少納言」という名前は本名ではなく呼び名(通称)で、本名や生没年もはっきりとはわかっていない。父は優れた歌人で「三十六歌仙」にも選ばれている清原元輔。清少納言の「清」は清原の清で、これに「少納言」という官職名を組み合わせたと考えられている。宮中に仕える女性は、父や兄弟などの官職名で呼よばれることが普通だったが、彼女の身近に少納言を務つとめた人はいない。なぜ少納言と呼ばれたのかは、諸説あるが不明だ。

 清少納言は、橘則光(たちばなののりみつ)という貴族と結婚して男子をもうけるが、やがて離婚。その後、藤原棟世(むねよ)という貴族と結婚して娘をもうけている。『枕草子』を描いたのは、橘則光との離婚後、宮中に出仕して中宮・定子に仕えるようになってから、定子の死去に伴って宮中を去るまでの間と考えられている。

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