勝負の世界は、結果がすべてだ。中日の立浪和義監督が18日の阪神戦の試合で敗れ、最下位に転落した後、今季限りで辞任することを電撃発表した。
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名古屋の民放テレビ関係者は複雑な表情を浮かべる。
「就任した22年から球団初の2年連続最下位に沈み、今年も最下位争いをしているので、責任を取って辞めるという決断は妥当でしょう。ただ、立浪監督だけに責任を背負わせてはいけない。中日は10年以上前から低迷期が続いているわけですから。監督を代えただけでは強くなりませんよ」
落合監督解任から続く暗黒時代
中日にとって常勝軍団を築いた栄光は、遠い過去になっている。
落合博満元監督が就任した04年から退任した11年までの8年間、すべてのシーズンでAクラス入りし、4度のリーグ優勝を飾り、07年には日本一に輝いた。申し分ない結果を出したにもかかわらず、優勝争いを繰り広げていた11年のシーズン終盤、球団は落合元監督に「来季の契約を結ばない」と事実上の解任を通達。同年は逆転でリーグ優勝を飾り、球団初のリーグ連覇を果たしたが、落合元監督は退任することになった。
当時の選手たちの思いは複雑だった。落合監督の下でプレーしたOBはこう振り返る。
「まさか退任するとは思いませんでしたよ。『落合野球はつまらないから客が入らない』とか言われていたけど、あの時代は球界全体で観客動員数が下降線に入っている時代でした。リーグ優勝した時は盛り上がっていましたし、日本一になった時に名古屋市内で行ったパレードで、沿道を埋め尽くした人たちから『ありがとう』とたくさん声を掛けられたことは忘れられません。落合さんと契約を延長しなかったことで、球団は集客重視で、勝たなくても満足なのかなという思いにもなりました。その後、チームが沈んだのは必然と言えます。厳しい言い方をすると、球団から本気で優勝を狙うという熱が伝わってきません」
落合元監督が退任すると、12年以降は優勝から遠ざかり、昨年までの12年間でAクラスに入ったのは2度のみ。最下位が3度、5位が5度と暗黒時代が続いている。