そもそも、道長の兄・藤原道隆の娘で、一条天皇の寵愛を受けた中宮・定子に対抗する形で入内した彰子。彰子の立后を後押ししたのは、小野道風・藤原佐理とともに「三跡」と称される能書家・藤原行成だとされる。有能な官僚でもあり、藤原斉信・公任、源俊賢らとともに一条天皇を支えた「寛弘の四納言」に数えられている。

 彰子が入内した当時、一条には皇后・定子がおり、本来なら中宮は立てられないはずだが、故実に通じた行成は、先例を調べて彰子の立后を正当化し、前代未聞の「一帝二后」を実現。道長に栄華の道を開いたのである。

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平安 もの こと ひと事典』(著 砂崎 良/監修 承香院)の「彰子」の項にも、彰子が皇子を2人も生んだことが、「道長と藤原氏の最盛期を実現させた」とあり、さらにこう続く。「出家後は上東門院と名乗って87の長寿を保ち、政治にも影響力を発揮しました。そのサロンでは紫式部、和泉式部、赤染衛門らが活躍しています」。

 紫式部は「源氏物語」を著しただけではなく、彰子の出産の様子や道長らとの交流など宮廷生活を「紫式部日記」に記した。和泉式部は敦道親王との恋愛を情熱的につづった「和泉式部日記」を、赤染衛門は女流歌人として多くの歌を残した。

(構成 生活・文化編集部 上原千穂 永井優希)

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