抹消に関する決議案では、世界遺産委員会として、ドイツがドレスデンをもう一度世界遺産に登録を要請する可能性も示唆しました。橋の建設によって文化的景観としての当初の価値は損なわれたかもしれませんが、その他の部分にはまだ顕著な普遍的価値を認められる可能性があり、資産の区域設定や登録基準を変えればその部分を登録しなおすこともできるという見解です。
しかしながら2024年時点で、ドイツの暫定リストにはドレスデンは含まれていません。
国境紛争のきっかけになった世界遺産「プレアヴィヒア寺院」
世界遺産に限らずとも、世界には二国間、多国間でいまだ解決されていない過去の歴史や関係によって、政治的に議論される場所や出来事が多く残っています。
2008年に世界遺産に登録され、それをきっかけに一時期はカンボジアとタイとの国境紛争にまで発展したプレアヴィヒア寺院の例などは、その最たるものでしょう。寺院は9世紀末に建築されたものです。アンコールを都としたクメール王朝によって建てられた寺院で、現在のタイのみならずラオスの国土の一部も、クメール王朝の全盛期にはその領土となっていました。
プリアヴィヒア寺院の周辺は、カンボジアの最北端に位置しており、1962年にオランダのハーグにある国際司法裁判所は、領土をカンボジアに帰属すると認める判決を出しています。
土地の帰属はカンボジアとタイにとって積年の争点でしたが、2008年に世界遺産に登録されるまでは沈静化していました。当初、タイはこの寺院の世界遺産登録を支持すると表明していました。しかし登録後にタイ国内で世論がこの支持が法律に反しているという方向に高まり、またタイ人が寺院に不法侵入したとしてカンボジア側に拘束されたことをきっかけにタイの軍隊が派遣され、交戦状態となりました。
2011年には再び、両軍が交戦状態に入り、数千人の民間人が避難し、数十人の死者も出ています。
私がプレアヴィヒアを訪れた2011年、両国はまだ交戦中で、遺跡の中には入れませんでした。その代わり、幕僚本部で私を迎えてくれたのはカンボジア軍の将軍でした。「GPSで感知されるので、携帯電話はオフにしてね」と言われ、歓迎行事として、現地で寿命が延びるとされる黒い大蜘蛛を漬けたお酒をいただき、蜘蛛の脚も食べたことを覚えています。味についてはよく覚えていませんが……(笑)。