「だっちゅーの」の秘話などを明かす西本はるかさん(撮影・門間新弥/場所提供・PHONO shibuya)

――パイレーツ結成時、西本さんは19歳、浅田さんは18歳でした。

 芸人になろうとか、なれるとか考えたこともなかったし、何が何だか分かりませんでした(笑)。好未と同じ事務所だからコンビを組むことになり、上の人にボキャブラへの出演を勧められて。「だっちゅーの」があんなに流行するとは想像もできなかったです。あのころ、言葉の語尾に「だっつーの」をつけて話していたんですよ。そしたら作家の方が「胸を大きく寄せるポーズとその言葉を組み合わせればいいんじゃない」って。

――1998年の流行語大賞に選ばれました

 表彰式に出たときは場違いだなと感じました。「ハマの大魔神」で受賞した佐々木主浩さん(当時、プロ野球横浜ベイスターズ投手)、「凡人・軍人・変人」で受賞した田中真紀子さん(当時、衆院議員)と私たちが並んで。私たちがセクシーな衣装を着て立っていたら田中さんに、「あなたたち、そんな格好して寒くないの?」って聞かれて。「寒いですよ」って普通に返すことしかできませんでした(笑)。

「だっちゅーの」ポーズやりすぎで腰痛め

――多忙な生活だったのでは

 ボキャブラで名前が売れてから急に忙しくなって、3時間の睡眠が取れればいいという日が続きました。「だっちゅーの」のポーズばかりしていたら腰を痛めて(笑)。月に一度しかオフがないので、「休みたい」って泣いたこともありました。当時は「ネタが棒読みだよね」とよく言われていました。感情がこもっていない部分を「それがパイレーツだよね」と言ってもらいましたが、心の中では「それが本当の気持ちだよ」という思いが少しあって。幼い部分もあったと思います。

――人気絶頂でしたが、4年半でコンビを解散しました

 学園祭や地方の営業が多くて求められるがままに仕事をしていたけど、「自分がやりたいことと違う」という思いが消えなかったんです。芸があるわけではないし、この人気がずっと続くことはないという危機感もありました。女優の仕事がしたくて芸能界に入りましたし、解散して再スタートを切ることにしました。

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男運はないけど……