選挙では「仲間集め」>「政策論」
国会が閉会し、都知事選挙が終わってから、永田町の関心はもっぱら、9月に行われる自民党総裁選挙に移った。
政治部が書く記事も自然とその話題が多くなる。
それらの記事の大半は、派閥の力学が弱まる中で、誰が立候補し、誰がそれを支持するのか、そしてその背景にはどんな思惑が渦巻いているのかというような話が中心になっている。
それぞれの候補をめぐる詳しい情報について取り上げることはしないが、ここで指摘したいのは、自民党総裁選の記事の中には、ほとんど政策論の話がないということだ。つまり、彼らから見て、政策論争は、次の自民党総裁を決める上では、ほとんど何の意味も持っていないということになる。
では、自民党には、政策が大事だと考える政治家がいないのかというと、もちろんそんなことはない。現に、政策論が自民党内で常に戦わされていることはよく知られたことだ。しかし、少なくとも総裁選の勝敗を分ける決め手が政策論だということにはなっていない。
その理由は何かといえば、政策論の戦い以前に、はるかにハードルの高い戦いがあるからだ。
その戦いとは、いかに国会議員の仲間を集めるかという戦いである。もちろん、政策的に近い議員を支持しようと考える議員もいるのは事実だ。しかし、最終的には、誰についた方が自分の得になるかで支持する候補を決めるという実態がある。それが利権を意味することもあれば、選挙支援が目的であることもある。
そして、この構造がもたらす最大の問題は、2月27日配信の本コラム「支持率最低でも岸田首相が国民の声を聞かない理由 『諸悪の根源』国会議員票で決まる自民党総裁選のルールを変えろ!」で詳しく解説したとおり、国民が支持する政治家ではない候補者が総裁に選ばれる確率が非常に高いということである。