かつては松坂大輔や愛甲猛ら、現在も涌井秀章(中日)、筒香嘉智(DeNA)、近藤健介(ソフトバンク)、柳裕也(中日)ら、錚々たるメンバーを誇る横浜だが、プロ1号は、63年夏の甲子園で4強入りしたチームのエースで、64年に東映に入団した井上健仁だ。背番号46をつけたが、在籍3年間1軍登板なしで終わっている。
1軍出場第1号は、65年に大洋入りした左腕・平岡一郎だ。2年の夏に前出の井上の控え投手として甲子園に出場。プロ1年目に31試合に登板し、、9月12日の中日戦で初勝利を挙げるなど、3勝3敗、防御率1.96を記録。67年には57試合、68年にも66試合と2年続けてリーグ最多登板をはたした。当時の三原修監督は王貞治へのワンポイントとして重用し、50打数13安打、0本塁打、10三振に抑えたことから、“王キラー”と呼ばれた。
ちなみに同校が47年に吸収した旧制本牧中は、「横浜高OB」括りにはならないものの、同中出身の苅田久徳(巨人)と若林忠志(阪神)が野球殿堂入りしている。
野村祐輔(広島)、有原航平(ソフトバンク)、佐野恵太(DeNA)らの出身校で知られる広陵は、戦前からの名門で、1936年のプロ野球(日本職業野球連盟)誕生に際し、8人が名を連ねている。
白石勝巳(巨人)、門前真佐人、平桝敏男、小川年安、岡田宗芳(タイガース)、濃人渉(金星)、倉本信護(阪急)、野村実(名古屋)。
それ以前に田部武雄が34年に巨人の前身・大日本東京野球倶楽部に入団し、翌35年の米国遠征にも参加しているので、36年開幕のプロ野球リーグには参加していないものの、プロ1号と言えそうだ。また、前記の8人のうち、白石、門前、濃人と後に3人が監督に就任しているという点でも多士済々だった。
開校は82年と比較的新しいが、若月健矢(オリックス)、清水達也(中日)、野村佑希(日本ハム)らを輩出し(12年にリーグ最多犠打をマークしたロッテ・根元俊一もOB)、近年躍進目覚ましい花咲徳栄のプロ1号は、品田操士だ。