高校時代は甲子園に出場していないが、2年春に関東大会に出場するなど、埼玉県では聖望学園・門倉健(中日‐巨人など)とともに好投手と注目され、91年のドラフト3位で近鉄に入団。96年に9試合に先発し、4勝を挙げた。
弟の品田寛介も93年のドラフト6位で広島入り。2年前の兄、前年ドラフト7位で広島入りした池田郁夫に続いて3年連続でエースがプロ入りする快挙を達成している。
原辰徳前巨人監督の出身校で、現在も菅野智之(巨人)、小笠原慎之介(中日)、森下翔太(阪神)らが活躍する東海大相模。プロ1号は原の同期で、高校時代は背番号11の控え投手だった岡部憲章だ。
76年のドラフト外で日本ハムに入団した岡部は、80年5月24日の近鉄戦で初勝利を挙げるなど、プロ入り後に大きく成長。翌81年には13勝2敗、防御率2.70でチームの優勝に貢献するとともに、最優秀防御率のタイトルを獲得し、巨人との日本シリーズ第3戦で、スーパールーキー・原との対決も実現。2打数無安打1三振に抑えた。
阪神移籍1年目の88年にも44試合に登板し、3勝を記録。引退後の90年から巨人の打撃投手となり、原、日本ハム時代にも7年間一緒だった津末英明と再びチームメイトになった。(文・久保田龍雄)