池江璃花子(いけえ・りかこ):2000年生まれ、東京都江戸川区出身。横浜ゴム所属。16年、高1のときにリオ五輪に出場し日本人最多の7種目に出場。19年に白血病と診断されて入院。21年の東京五輪ではリレー種目に出場。現在、個人種目11種とリレー種目6種で日本記録を持つ。初の自著『もう一度、泳ぐ。』を発売(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)
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 競泳の池江璃花子が2大会ぶりに個人種目で五輪に出場する。闘う表情が戻ってきた池江に、東京からパリへ、この3年間での進化を聞いた。まもなく開幕するパリ五輪を特集したAERA 2024年7月22日号より。

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——3月に行われた競泳のパリ五輪代表選考会。女子100mバタフライで池江璃花子(横浜ゴム)は、決勝で派遣標準記録を上回る記録で2位に入り、2大会ぶりに個人種目で五輪切符を手にした。

 個人種目でパリに行くことが私には最も大事だったので、バタフライで五輪出場を決めた時は本当にうれしかったです。ただ、自由形に関しては、あれだけ練習してきたのに50mも100mも派遣標準記録を突破できず、こんな結果で終わってしまったと自分に対して怒りも湧きました。

 それでも、個人種目でパリ行きを決めたので、練習拠点をオーストラリアに移して本当に良かったと思いましたね。

「心も体も変わった」

——オーストラリアに単身で乗り込んだのは昨年秋のこと。早朝5時頃に起床し、屋外のプールで6時半から4千〜5千キロ泳ぎ、2部練の日は、昼寝で体力の回復を図って午後にも同距離を泳ぐ。ウェートトレーニングは週3回。綿密で負荷の高い練習メニューをこなしているうちに徐々にタイムが上がり、筋肉のよろいをまとった身体に。半年間で体重は5キロも増加した。

 今、オーストラリアは冬なので、早朝練習を始めるときは、あたりは真っ暗。プールに入っているうちに陽が昇る感じです。

 実はこちらに来る前は、ポジティブな思考ができていなかったんです。思うような結果も出せず、自分の悪い部分ばかりが目についてしまって、「今日もだめだった」「どうしてできないんだろう」と自分を責めることもありました。振り返ると、その頃のインタビュー記事には、ポジティブな言葉がほとんど出てこないんですよね。

 免疫系の病気だったこともあり、負荷の高い練習で追い込むと体調を崩したりするので、ずっときつい練習は避けるようにしていました。

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