部員数ギリギリで戦う学校には“悲劇”も…※画像はイメージ
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 夏の甲子園出場をかけた地方大会の熱戦もたけなわ。現在は部員が8人以下の学校同士による連合チームも認められているが、過去には部員9人ギリギリで大会に出場したチームが、試合中のアクシデントで人数不足になり、没収試合が適用されたケースもあった。

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 学校再編で閉校が決まり、部員9人で最後の夏にチャレンジしたチームが、没収試合という形で無念の幕切れを迎えたのが、2016年の和歌山大会だ。

 センバツに3度出場し、1995年には同年夏の甲子園優勝校・帝京を1対0で下した輝かしい球歴を持つ伊都は、少子化と学区制廃止による生徒の減少から、15年から紀の川との統合校・伊都中央として再編され、16年度限りで閉校が決まった。

 前年秋、3年生の引退後、残った7人の部員も一時は5人まで減ったが、森口幸太主将を中心に、必死に勧誘を続けた結果、新たに野球経験者が入部。「最後の夏、絶対に1勝して、支えてきた人に校歌を聴いてもらおう」を合言葉に、バスケット部からの助っ人1人も加えた全員3年生の9人ギリギリで県大会に出場した。

 そして迎えた初戦(2回戦)の耐久戦、アクシデントが起きたのは、1対8とリードされた5回裏2死の守備中だった。ショートを守っていた柴田寿幸が突然足をつり、グラウンドに倒れ込んだ。熱中症の症状を起こしており、急きょ担架で運ばれた。

 治療を受けている間、伊都の応援スタンドでは、生徒や父母が校歌を合唱し、歌い終えると、「頑張れ、柴田!」「戻って来い、柴田!」のエールを贈った。さらに耐久応援団からも「頑張れ、柴田!」の声援が沸き起こった。

 だが、約20分後、「全身痙攣のような状態で、このまま試合に出場しつづけると生死に関わる」という理学療法士の判断をもとに、和歌山では戦後初の没収試合となり、規定により、伊都は0対9で敗れた。

 試合終了後、整列して一礼する8人の選手たちには、スタンドから惜しみない拍手と「ようやった」「ありがとう」の声援が贈られた。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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