競馬の歴史に名前を刻んだ名馬は数あれど、無敗のまま輝かしいキャリアを全うしたケースとなるとその数は途端に少なくなる。今回はそうした「無敗の名馬」を紹介する。
まず日本調教馬に目を向けると、故障による早期引退のケースを除けば無敗でG1級のレースを制した馬はほぼいない。戦時中の1943年にダービー、オークス、菊花賞の変則三冠馬となったクリフジ(11戦11勝)くらいだろうか。
1951年には皐月賞とダービーの二冠を制すなど10戦10勝のトキノミノルが登場したが、ダービーの17日後に破傷風で急死してしまった。1976年に朝日杯3歳ステークス(現朝日杯フューチュリティステークス)を勝つなど8戦8勝の戦績を残し、スーパーカーの異名を取った外国産馬マルゼンスキーも故障のため4歳(旧馬齢表記)の7月を最後にターフを去った。
1994年の朝日杯3歳ステークスを制したフジキセキ、2001年に無敗で皐月賞を勝ったアグネスタキオンも故障のためダービーを前に戦線離脱し、4戦4勝での引退を余儀なくされている。
海外馬はどうかというと、54戦全勝の記録を残したハンガリーの伝説的名馬キンチェムや、1955年から凱旋門賞を連覇した16戦全勝のリボーなど、20世紀半ばまでは無敗の名馬が数多く存在した。21世紀に入ってからは調教や配合の底上げが進んだためか、一時代を築いた名馬たちでも思わぬ敗戦を喫することが多々あったが、そんな中で25戦25勝という無傷の経歴を残したのがブラックキャビアだ。
ブラックキャビアはオーストラリアの歴史的名牝で、G1レースを通算15勝。それもちょっとした出遅れや道中の不利が致命傷となり得る短距離路線を主戦場としての無敗だけにいっそう価値が高い。国内で破竹の20連勝を決めた後の2012年6月には英ロイヤルアスコット開催への遠征を敢行。G1ダイアモンドジュビリーステークス(現キングチャールズ3世ステークス)を見事に制してみせた。無敗という看板を失うことを恐れず地球の裏側まで遠征したことで、ブラックキャビアの輝きはさらに増すことになった。