津波が引いたあとの能登町。がれきの山が積み上がるが、空気感や能登にさす光の美しさは変わらなかった(坂口歩さん撮影)
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 早いもので、2024年も折り返しです。1月~6月にAERA dot.に掲載され、特に多く読まれた記事をジャンル別に、ランキング形式で紹介します。社会関係の記事の2位は「『痛々しい画像いっぱい流してごめんなさい』 21歳美大生が能登町の写真をSNS載せ続けた理由、届いたエール」でした(この記事は1月20日に掲載したものの再配信です。年齢や肩書などは当時のもの)。

【写真】悲惨だけど、美しい…坂口さんが撮った地元・能登町はこちら(全12枚)

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 1月1日に発生した能登半島地震で、見慣れた光景はすべて奪われた。

 それでも、そこに「能登」があると感じた。

 「町はめっちゃ悲惨なんですけど、能登の青空や町の空気感、光のきれいな感じは全然変わってなかった」

 石川県能登町出身の坂口歩さん(21)は、変わり果てた地元を見て、言葉を選びながらそう話した。

「ひどいんだけど、きれいだなって。そのきれいさが悲しくもあり、救いでもあり……。きれいだと思っていいのかなとか、複雑な気持ちもありました。でも、やっぱり能登って美しい町だなって思ったんです」

 何かに突き動かされるように、カメラのシャッターを夢中で切った。そうすることで、自分自身の心が救われていたのだと振り返る。

がれきが積み上がる能登町(坂口歩さん撮影)

津波で全身ずぶ濡れになった子どもたち

 正月は能登町の実家に家族や親戚が集まって食事をするのが恒例だった。金沢美術工芸大学(金沢市)に在学中の坂口さんも昨年12月29日に実家に帰省。今年もいつもと変わらない時間を過ごしていた。

 いとこが帰るのを見送って少しすると、大きな揺れが起きた。

 能登地方では近年よく地震が起きていたため、今回も「いつもの地震だ」と重く考えていなかった。だが、すぐにまた地震が起きた。

 さっきより大きい、これまで感じたことのない揺れ。家はギシギシと音を鳴らし、今にもつぶれそうだった。着の身着のまま、慌てて外に飛び出した。

地震で倒壊した家屋(坂口歩さん撮影)

「ご近所さんを確認して、みんなで避難することになりました。父と兄はパジャマみたいな格好。車も置いて、家の裏にある高台に向かいました」

 少しして、近くの林の奥のほうから、「ドーン」という波の音が聞こえてきた。木がなぎ倒されているのか「バキバキ」という轟音、車のクラクションのような「プープー」という音。すでに携帯電話の電波は途切れ、今何が起きているのか知るすべもない。

「津波きたんかな」

「怖いね」

「大丈夫だよ」

 集まった地域の人たちと、そう口々に励ましあった。

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凍え死ぬよりは…