電線が切れ、ぐちゃぐちゃになった地元。車も全て流された(坂口歩さん撮影)

 日が落ち、急激に気温が低くなった。近くのビニールハウスに移動し、置いてあったダンボールを敷いて腰を落ち着けた。

 1時間ほどして、近所の公民館は電気がついた。Wi-Fiもつながる、といううわさが坂口さんの耳に入った。

「でも、公民館のほうがビニールハウスより標高が低いんです。津波も怖いし、移動するか迷いました。ただ、寒さで凍え死ぬよりはいいよねって夜8時半くらいに家族全員で避難しました」

 公民館にはすでに70人ほどが避難していた。けがをしていたり、津波にのまれて全身がずぶ濡れになった子どももいた。

「町は悲惨だけど、空のきれいさは変わらなかった」という(坂口歩さん撮影)

「能登町」のことを忘れないでほしい

 地震発生から2日後、意を決して自宅を見に行った。水は引いていたが、壁に残る跡から、津波が2メートル近くあったことが想像できた。言葉にならない感情が込み上げ、無我夢中で写真を撮った。

「まるで別世界に来たんじゃないかと思うくらい、ひどかった。津波で家のなかもぐちゃぐちゃでしたが、テーブルの上に置いていたこのカメラはぎりぎり水に浸かっていなかったんです。撮るのに夢中になることで、自分の心を救っていたような気がします」

津波の被害をギリギリで免れたカメラ(坂口歩さん撮影)

 美大の作品づくりで、昨年末には地元の親子を被写体に公園で撮影をしたばかりだった。カメラには地震が起きる前の能登の写真も残っている。

「それが、災害の写真になってしまって。あぁ、って感じです」

 避難していた公民館の前を給水車が通り過ぎていったこともあった。他の避難所の様子がわからないため、「気づいてもらえていない」「もっとひどいところがあって、うちらは後回しなのかな?」と落ち込む日々。テレビでは、輪島市や珠洲市、七尾市の情報が多く、能登町のことは知られていないのではないかと不安になった。

 そこで、X(旧Twitter)とインスタグラムに能登町の写真を投稿し、こうつづった。

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