昔の地方大会では今では考えられない事件が多く発生※画像はイメージ
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 今年も夏の甲子園出場校を決める地方大会が幕を開けた。負ければあとがないトーナメントの一本勝負とあって、プレーする選手はもとより、応援する関係者も一生懸命。そんな熱い思いが高じるあまり、まさかの騒動に発展した事例も少なくない。

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 試合に敗れたチームの選手が、不利な判定をした審判を暴行するというビックリ仰天の事件が起きたのが、1951年の神奈川大会だ。

 前年夏の甲子園に出場した神奈川商工は、同年も優勝候補。初戦の鎌倉戦では、エース・大沢昭(啓二)が被安打1の好投を見せ、14対0で6回コールド勝ちした。

 だが、2回戦の逗子開成戦は、息詰まる投手戦となり、初回から両チームともにゼロ行進。延長13回、開成が3安打を集中して2点を勝ち越し、2対0で逃げ切ったが、商工は9回、11回に本塁を突いた走者がいずれもタッチアウトになるなど、サヨナラのチャンスを2度にわたって逃していた。

 後の大沢親分も「九回は明らかにランナーの足が早く、サヨナラ勝ちと思った瞬間のアウトだった。ワシの外角ギリギリの球も何球か『ボール』の判定を受けていた。そんなことで、ワシはムシャクシャしていた」(自著「男くせえ話になるが やられたらやり返す反骨野球の心髄」 衆浩センター)と腹の虫が収まらず、チームメイトと2人で球審の菅大一氏をトイレに連れ込み、蹴り飛ばした。

 同年7月22日付の神奈川新聞によれば、試合終了から30分経った午後4時40分ごろ、惜敗した商工の3年生、〇〇〇〇君(実名)ほか1名が大会本部で休んでいた菅氏に「不公平だ」と詰め寄り、興奮のあまり、「ぶっ殺す」と叫んで暴行に及んだという。「開成から幾らか貰ったんだろうと言われて、全く迷惑です」という菅氏のコメントも掲載されている。

 この事件により、商工は1年間の対外試合禁止処分を受けたが、ここから話は意外な展開を見せる。事件後、自宅謹慎中の大沢を、当時立教大の野球部員だった菅氏が訪ねてきて、「君のような野球がうまくて元気のある選手が立教大学に必要なんだ」とスカウトされたのだ。

 審判を殴ったことがきっかけで、名門大学に入学し、その後もプロで活躍、日本ハム監督時代にリーグ優勝と、野球人として大きく花開いたのは、いかにも大沢親分らしい破天荒な人生と言えるだろう。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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