三塁線の打球の判定をめぐり、騒動が勃発し、最後は遅延行為を理由に没収試合が宣告されたのが、1969年の長野大会だ。

 春の北信越大会で4強入りするなど、優勝候補の筆頭の丸子実は、東信地区大会を順当に勝ち抜き、県大会に駒を進めてきた。

 初戦の相手は長野・春の県大会で6対0と完勝しており、下馬評も「丸子実有利」だったが、春の雪辱に燃える長野もチーム一丸となってぶつかり、試合は4対4で延長戦へ。

 そして11回表、長野は2死一、二塁のチャンスに宮沢強が三塁ベースギリギリにゴロを放ち、打球は左翼ファウルゾーンを転々とした。三塁塁審は「フェア」と判定し、勝ち越しの2点が入ったが、丸子実側は「ファウルではないか?」と猛抗議。上田市営球場は同校の地元でもあり、1万人以上の観客で埋まったスタンドから空き瓶や石がグラウンドに投げ込まれる大騒ぎに。23分後、ようやく試合再開となったが、丸子実は日没を前に再三の投手交代など、日没引き分け狙いとみられる遅延行為を繰り返したため、審判団は協議の末、19時45分、「丸子実は故意にゲームを引き延ばした」として没収試合を宣告。この結果、9対0で長野の勝ちとなった。

 収まらないのは、1時間以上も待たされた末、負けを宣告された丸子実ファン。興奮のあまり、グラウンドに飛び降りる者や球場に引いてある電話線のコードが引きちぎられたり、三塁側の木造スタンドが放火されるなど、大混乱に陥った。警官隊130人が出動し、2人の逮捕者が出た。

 その後も騒動は尾を引き、2日後の7月27日、丸子実の野球部後援会が「フェアな応援をすべきだった」と解散を発表。野球部も2年間の対外試合禁止の処分(11カ月後に解除)を受けた。

 まさかの初戦敗退を喫した強豪校の監督が試合後に殴られる事件が起きたのが、1989年の福岡大会だ。

 前年夏の甲子園で準優勝した福岡第一は、同年も好投手・古里泰隆(元阪神)を擁し、有力候補に挙げられていた。

 だが、シード校として臨んだ夏の大会初戦の三井戦、古里を温存し、控え投手を先発させたことが裏目に出て、2対3で敗れてしまう。

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「監督、お前が悪いんだ。どう責任を取る」