哲学者 内田樹
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 哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。

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 コラムニストの小田嶋隆さんが亡くなって2年になる。先日、小田嶋さんを偲ぶ「偉愚庵(いぐあな)忌」が奥さんの小田嶋美香子さんの主宰で、平川克美君が店主の隣町珈琲で開かれた。

「イグアナ忌」という名前は私が思いついた。小田嶋さんは「イギー」という名のイグアナを飼っていて、このペットについていくつも文章を残している。ブログ日記のタイトルも「偉愚庵亭憮録」だった(「庵」と「亭」が続く不思議な雅号だけど)。イギーは死後剥製にされて、小田嶋さんの「名代」としてずいぶん活躍された(今はご自宅の玄関に飾ってある)。

 今年の偉愚庵忌には80年代からの担当編集者たちが一堂に会して、それぞれの思い出話を語ってくれた。小田嶋さんが伝説的な「締め切りを守らない人」であるにもかかわらず、多くの編集者が次々と連載企画を持ち込んだのは、「小田嶋隆の書き物の最初の読者になる」という特権と愉悦に抵抗できなかったからだと思う。性はなはだ狷介であり、希代の毒舌家であったけれど、小田嶋さんが天才的な「言葉の使い手」であることに異論のある人はいない。

 私は80年代に情報誌に連載されていたコラムを一読して小田嶋隆の熱狂的なファンになったが、拝顔の栄を得たのは私が編んだ『9条どうでしょう』に寄稿をお願いしてからである。この時に長年のアイドルに初めてお会いすることができた。以後、平川克美君を交えて定期的に温泉に行って麻雀を打つ友だちになった。

 小田嶋さんがいなくなった後、何か出来事が起こるたびに多くの人が「小田嶋隆がいたらこの事件を、この人物をどう論評するだろう」と思ったはずである。裏金問題もマイナ保険証も大阪万博も都知事選も、どれをとっても小田嶋隆だったらどんな言葉でこれらを斬り捌くだろうと思うと、二度と小田嶋隆の時事的な書き物を読めなくなったことの欠落感が骨身にこたえる。

 小田嶋さんは他の誰によっても代替することのできない独特のニッチを日本の言論空間のうちに有していた。その仕事を誰も代替できないという仕方で小田嶋隆の名は記憶されることになると思う。

AERA 2024年7月8日号

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内田樹

内田樹

内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数

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