ため息をつきながら私たちはみな同じことを言う。

「もし彼女が男だったら……」

 それは不愉快だけど見慣れた光景である。「公共とは男のためにできている」と信じて疑わない男性ジェンダーをすくすくと生きてきた一部の男性が、女にわざとぶつかったり、女を叱りつけたり、子どもにキレたり、男同士で罵り合ったりする姿は幾度と見てきたし、私自身も被害にもたくさんあってきた。でも、こんな風に中年女性たちが、同じ女や子どもにキレる姿が同時多発する事態は、どのように考えたらよいのだろう。

何より複雑なのは、私が「キレる女」に味わう感情である。女性や子どもにキレる男性へは怒りや悔しさしかないのに、キレる女に対して抱くのは、一言で割りきれない複雑な痛みである。その痛みは同情であり、恐怖であり、不安である。なぜ彼女たちはそうなってしまったのか……という全ての想像は、彼女が女だったから……というものにつながるような気がして、ひたすらに痛い。

 そんな話をしていたら、女友だちがカプセルホテルで出会った女性の話をしてくれた。激安のカプセルホテルで、たまたま隣りあわせになった50代の女性とお酒を飲んだという。50代の女性はほぼ持ち合わせがなく彼女が奢ったそうだが、女性は若いときに世界中を旅した話を詳細にしてくれたという。イギリス領だった香港を旅した時のときの喧騒、中国大陸を列車で移動したときの行程、東南アジアをバックパックしたときに出会った現地の女性たちとの会話……鮮やかな記憶から語られる想い出は尽きず、聞き惚れるほど楽しいものだった。

 その女性は今、夜中に清掃の仕事をして暮らしているという。友人が見たところカプセルホテルの常連らしく、というより定住する場所がなく、ほぼそこで暮らしているように見えたという。何年も着込んでいるようなハイビスカスが大きく描かれた派手なTシャツに、スーツケース一つで生きている女性が、「今の生活」についてを慎重に避けながらも昔見た景色を活き活きと語るのを聞きながら、友人は胸が締め付けられるような思いになったという。

「上から目線の同情」と言われるかもしれない。でも、彼女が感じたのは、ハッキリと同情であり、そして、「私ももしかしたら、将来はこうなるのかもしれない」という不安であり、そう感じてしまうことで味わう女性への罪悪感であり、痛みだった。未来に希望を感じられない、安全を感じられない、政治に守ってもらえると思えない、どうやって生きていけるのだろう。どうやって年を取っていけるのだろう。

暮らしとモノ班 for promotion
疲れた脚・足をおうちで手軽に癒す!Amazonの人気フットマッサージャーランキング
次のページ
無数の「大林三佐子さん」がいる