それまで、家族からも存在をNOと言われて生きてきていなかったし、学校でも周りに否定してくる子とか有難いことに一人もいなくて、そのままの自分で生きてきた。SNSの世界でも自分の好きな通りに発信できたのが、テレビの世界で初めて反対の感覚を経験して、慣れなかった。

 そばにいたryuchellは私のそんな気持ちもわかってくれていたので、私ができるだけ嫌な思いをしないように、いつも横でカバーしてくれていたんです。私が言いたくないことを振られたときには、サッと前に出てryuchellが代わりにしゃべってくれた。ryuchellがいつも面白く楽しく、私の横で頑張ってくれたから、結果、楽しくできていましたね。
 

 あの頃も、今でもなんですけど、私、ハングリー精神というものが欠如していて(笑)。ryuchellは逆にハングリー精神がめちゃくちゃすごかった。

 その当時、同じ時期にテレビなどに出ていた同年代の人たちは、ハングリー精神もすごかったですね。前に出て、爪痕を残す。私は爪痕!?って感じで、ホント真逆過ぎて、その空気感がしんどかったんです。

 その世界で頑張る人たちにとっては、出演した番組で爪痕を残すことはもちろん素敵なことなんですけど、逆に、私が、こんな一生懸命な人たちの中にいることが申し訳なかったです。

 だから、テレビの出演を減らしてもらった時期もありました。ハングリー精神はないけど、ちゃんとお仕事として引き受け、嘘の自分を作ることもなく、この5~6年の間に知らぬ間に、テレビのお仕事も自然体でできるようになったなと思います。
 

いつも味方だったryuchellの反対

 テレビのお仕事ができたのも、100%、ryuchellがいてくれたからですね。ryuchellは「本当に、頑張らなくていいよ」「嫌な事はやらなくていいからね」って、いつもそばで言ってくれていた。ryuchellのおかげで、自分というものを見失わず、楽しく仕事をできた。収録後にryuchellと「あれ、こうだったよね」とか大笑いして話したり、ときには愚痴ったりもして、収録終わりの夜の10時過ぎに食べに行く焼肉を楽しみに頑張っていた。結果、すごい楽しかったです。

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ryuchellからの最初で最後の「反論」