「大阪から来たpecoちゃん、めっちゃフォロワーがいるんだよね、よかったら働いて」って声をかけていただき、アルバイトとしてアパレルの仕事をしました。でも、「アパレルのバイトをしていました」というほどの仕事をしていなくて(笑)。

 私のブログを見てくれた人たちがショップに会いに来てくれて、お話しして、一緒に写真を撮る。そういう仕事だったので、レジも触ったこともなくて。だから「アパレルやっていました」って言っていいものか(笑)。そういう立ち位置のスタッフでしたが、当時、めっちゃ流行っていたワードは“読モスタッフ”でした。あの頃は、“読モ”がめっちゃ流行って、とにかく影響力があった。
 

おバカでテレビに出るのがイヤ

 その後、ryuchellと付き合うようになり、「テレビに出ている人でもないのにフォロワーがめちゃくちゃいる子」として、色々なメディアで取り上げてもらうようになって、その子に面白い彼氏がいるみたいなのが、peco&ryuchellでのテレビ出演などの始まりですね。
 

 テレビのお仕事は自分には向いていなさすぎて、当時は、正直なかなか一生懸命にはなれなかった。テレビに出る前は、SNSで自分だけの世界を作れてきた。言葉ひとつの選び方も写真の撮り方も全部、自分の意志だけでできていたものが、テレビは色々な人が集まって制作していて、ときには「こういう風な言葉で話してください」となることもありました。

 当たり前のことなんだけれど、いまだから言える正直な気持ちとしては、そういう仕事をお受けしたときに、自分の思いに反する行動をとることが、嘘をついている気がしてまってとてもいやでした。振り返ると、あの頃は、まぁ子どもだったな……と思うんですけど。

 ryuchellとテレビに出演すると、ふたり揃っておバカみたいなキャラで切り取られるんですよね。別に、私は東大卒業したわけでもないし、頭がめちゃくちゃいいわけではないけど、でも、バカではない(笑)。なんで、ryuchellとふたりでバカなフリをしなければならないんだろう……初めての感覚で、すごく複雑でした。

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