後者でいくなら、共学や別学という多様な形の学校がある中で、それぞれの「弱点」をどう個別に補っていくかを議論すればいいことになります。男子校女子校、それぞれの立場から、ジェンダーステレオタイプなどを乗り越えていく教育を行う。そういった「手当て」が可能で、別学校育ちでも男女平等の意識やジェンダーイコーリティーに関する感度が養われ、最終的に男女共同参画社会の実現を阻害しないのであれば、「別学は存在してもいい」と考えることは可能だと思います。
共学の環境の方が「性差」を過剰に意識する
友野:気になったのは、苦情は「男子校に女子が入れない」ことを問題視するものでしたが、勧告では一足飛びに「共学化を」となっていたことです。
おおた:「別学か共学か」の二択で考えられがちですが、実際に問題視されているのは男子校であることは確か。同じ別学でも女子校は男子校より認められやすいという「非対称性」も、この問題を考える一つのポイントです。実際に勧告では「女子校においてはアファーマティブアクション(積極的格差是正措置)の観点から許容を認められないわけではない」と記しています。
友野:確かに客観的に見ればいまの日本は男性有利な社会です。ただ、私は共学の大学でも教えていますが、学生たちにジェンダーに関して感じたことを自由に書いてもらうと、長距離走で男子は長く走らされるとか、力仕事をやらされるとかそんなレベルではありますが(笑)、男子の側に「自分たちは女子に比べて冷遇されていて、損をしている」というような、意識の変化を感じることがあるんです。
一方で「将来結婚したら自分が家族を養いたい」と書く男子学生も一定数いて、「近代の男性性」にとらわれている様子もまた、見えてくる。そこを解きほぐす場としての「男子校という選択肢」もあり得るのでは、と考えてみることも必要ではないでしょうか。
おおた:同感です。私は男子校を取材する機会も多いのですが、現場の先生方は少しでも偏差値の高い大学をという価値観で育てられてきた生徒たちに対し、「競争に勝ってこそ人生」「女性に食わせてもらうなんて恥」という類いの「旧来の男らしさ」から脱却させるメッセージを盛んに発しているんです。