前年の88年、中日は若手の中村武志が正捕手になり、中尾は打力を生かして外野手に転向していたが、藤田監督は「まだ捕手ができる」と見込んでいた。グアムキャンプでは、87年以降伸び悩んでいた斎藤雅樹の再生という重要なミッションも任せた。

 当時の斎藤はコントロールに自信がなく、死球や甘く入った球を打たれることを恐れて内角を攻めることができなかった。中尾は「キャッチャーが構えたところにいかないと打たれると思ってる?だいたいでいいんだよ。打たれたら俺が責任を持つから。構えたところの近辺でいい」(2023年9月23日付・スポーツニッポン「我が道」より)というところからスタートし、斎藤の能力を最大限に引き出すことに成功する。

 同年、斎藤はリーグ最多の21試合を完投し、自己最多の20勝で8年ぶり日本一奪回の立役者に。正捕手として投手陣をよくリードした中尾も7年ぶり2度目のベストナインに選ばれ、中日で20勝を挙げたトレードの交換相手・西本とともにカムバック賞を受賞。両チームともに大成功のトレードになった。

 シーズン中の緊急補強で、同一リーグの捕手同士のトレードとなったのが、99年5月16日に成立した巨人・吉原孝介と中日・光山英和の1対1の交換トレードだ。

 同年の巨人は開幕後、顔面死球を受けて入院した正捕手の村田真一に加え、清原和博、広沢克実も相次いで故障離脱。これらの穴を埋めるため、村田真が復帰する5月下旬まで代役を務められるベテラン捕手で、右の代打にも起用できる光山がリストアップされた。

 一方、中日・星野仙一監督も、強肩が売りながら、出番が減っている吉原を指名し、くしくも捕手同士のトレードになった。

 近鉄時代に正捕手として野茂英雄とバッテリーを組み、90年には12本塁打を記録した光山は「(近鉄時代のチームメイト)石井(浩郎)さんとやれるのは心強いです。ここ何年も結果を出していないので、精一杯頑張りたいです」と決意を新たにした。

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捕手同士の同一リーグトレード。それぞれの活躍は