長距離を漕いで来たと思われるが息一つ乱れていなかった(撮影/小山幸佑)

 桐谷さんの自宅は1DKのアパートだった。狭いうえに散らかっていたこともあり、自ら支店に足を運んだ。

「手土産代わりに普通預金から200万円を下ろして、持って行きました。当時、高利回りだった中期国債ファンドを買ったのが最初です。

その後、株式も買いました。支店長も将棋が好きで。阿佐谷の支店長室でお茶とお茶菓子でもてなされながら将棋の話をたくさんして、楽しかったです」

 当時、株式市場全体の上昇に歩調を合わせるように、桐谷さんの利益も右肩上がりで増加。とんとん拍子でうまくいくので「自分は株が上手なんだ」と思っていた。

「タブロイド版夕刊紙の将棋欄担当者が、私が株で1億円ほど儲けたことを知り、記事にしたいと言ってきました。私がOKすると将棋欄ではないページに載りました。

その記事を見た東洋経済新報社の編集者が、単行本を書いてほしいと訪ねてきて。そりゃあ、有頂天になりますよ」

信用取引中にバブル崩壊

 その頃、信用取引をはじめた。持ち株を担保にお金を借り、より大きなポジションを持って、大きな利益を狙う取引だ。

 信用取引でこれまで以上の大金を動かすようになったところでバブル相場が崩壊。

「1990年の取引初日から日経平均の値崩れがはじまり、利益は一瞬で消えました」

 このとき桐谷さんは、「ちょっと自慢したら痛い目に遭った」と反省した。

 なお、反省したのは身の丈に合わない金額の信用取引ではなく「自慢したこと」のほうだった。

「そこから十数年は利益が出ても口外しませんでしたからね」と真顔で言う。

 誰にも儲かった話をせずに十数年が経った。その間の投資は、うまくいっていた。だが、桐谷さんにはバブル期と同じ展開が待っていた。相手の繰り出す手の先を読むことにたけたプロ棋士でも、なぜか同じ轍(てつ)を踏んでしまったのだ。

「2005年に当時の小泉純一郎首相の郵政改革がありました。総選挙では自民党が圧勝し、安定政権で日本の構造改革に期待が高まっていて、海外マネーが東京市場にどっと押し寄せていました。

資産3億円に達したあたりで、『もうさすがに、バブル崩壊のときみたいなひどいことにはならないだろう』と安心しきっていましたね」

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