※写真はイメージです。本文とは関係ありません(gettyimages)

 でね、教楽さん。小学校の約束(規則)に対しては、ボーイスカウトに関わっていた人の水筒に対する考え方がいいと僕は思っています。

 低学年に関しては、ある程度の約束(規則)は必要だと思っています。(もちろん、細か過ぎて保護者に金銭的および煩雑な手間を負担させるものは避けた方がいいと思いますが)

 でも、高学年になって、児童が約束(規則)に対して疑問を持つようになった時には、「これはこういう理由だから、ダメなんです」と子供たちを納得させられる約束であるべきだと思っているのです。

「どうして水筒は肩掛けのみなのか」「どうして消しゴムは白色でなければいけないのか」「どうして筆箱は箱型のみなのか」それを大人が子供に納得できるように説明する義務があると僕は思っています。

 そして、子供達を納得させられない約束(規則)は、間違った約束(規則)、不必要な約束(規則)だと思っています。

 小学校の高学年は、それぐらいの判断する力はあると思っているのです。

 今年(2024年)3月、横浜創英中学・高校の校長を退任された工藤勇一さんが、小学校で「受け身であること」「自分の頭で考えない癖をつけたこと」「ただ指示に従うこと」にどっぷりつかった生徒達を、中学校でリハビリする必要があるとよくおっしゃっています。

 それは、生徒に自分の頭で考える機会を与えることで「当事者意識」を持たせることが目的です。

 ただ指示と規則と教師の言葉に従っているだけでは、決して「当事者意識」は育たないということです。失敗しても、指示に従った結果だと考えて、指示した人間が悪いと考えます。自分の責任だとは思わないのです。

 ですが、自分で納得した規則や自分で納得したやり方で失敗したら、責めるのは自分しかいません。

 教楽さんは、他の教員の「管理していた方が子どもの力が強くなる」という言葉を紹介していますが、例えばスポーツ教育の世界では、「厳しい指導をすると、一時的には成績は伸びる」ということが、いろんな研究・調査で明確になっています。

 ただし、それは、「選手が指導を受け、それに耐えられている間」だけです。

 部活の例だと、厳しい指導をすると、対外試合の勝率は上がります。ただし、一人一人の生徒が卒業後に、その経験をちゃんと生かせるかどうかは分かりません。

 厳しい指導を受けることが当たり前になった生徒は、卒業後、指導がなくなった時に、指導を受ける前より「メンタルが弱くなる」ことは普通にあります。激しく強制されたスポーツが大嫌いになることもよくあります。

 もちろん、厳しい指導を血肉化して、大人になっても、前向きなメンタルを維持する人もいるでしょう。

 ですが、僕は、「厳しい指導を受けて、受け身でメンタルを強くした人」より、「自分自身の責任でメンタルを強くしようとした人」の方が、最終的に到達する地平は豊かで広々としていると思っているのです。

「宿題や課題を終わるまで遊ばせず全部やり切らせる指導をしている学級の児童は、進級して違う担任になってもメンタルが強いように感じます」と、教楽さんは書きます。

 小学校低学年のうちは、「宿題や課題をすること」と「遊ぶこと」のルールを教えることはとても大切だと思います。が 、高学年になっていくにしたがって、どうやったら、自分のこととして、つまりは当事者として、「宿題や課題を終わるまで遊ばない」というルールを、子供達一人一人が自発的に身につけられるように導くことが教育だと思っているのです。

 頭ごなしに「宿題や課題が終わるまで遊ぶな!」と命令することではなくてね。

 教楽さん。小学生の決まり(規則)に関しては、僕はこんなことを考えています。

 やっぱり、一番大切なことは、「自分の頭で考えられる」児童を育てることだと思っているということです。

著者プロフィールを見る
鴻上尚史

鴻上尚史

鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)/作家・演出家。1958年、愛媛県生まれ。早稲田大学卒。在学中に劇団「第三舞台」を旗揚げ。94年「スナフキンの手紙」で岸田國士戯曲賞受賞、2010年「グローブ・ジャングル」で読売文学賞戯曲賞。現在は、「KOKAMI@network」と「虚構の劇団」を中心に脚本、演出を手掛ける。近著に『「空気」を読んでも従わない~生き苦しさからラクになる 』(岩波ジュニア新書)、『ドン・キホーテ走る』(論創社)、また本連載を書籍にした『鴻上尚史のほがらか人生相談~息苦しい「世間」を楽に生きる処方箋』がある。Twitter(@KOKAMIShoji)も随時更新中

鴻上尚史の記事一覧はこちら
暮らしとモノ班 for promotion
なかなか始められない”英語”学習。まずは形から入るのもアリ!?