茶封筒に入っているそのメモは、現物だ。日本図書館協会の罫紙を使っていることから、中田が日比谷図書館の館長になった1944年以降のメモだと思われる。

 極端な悪筆で読みにくいのだが「文部省若手官吏の出過ぎ」「翼賛会自体の無策」と悲憤慷慨のメモをしたためながら、「孤立」の文字が躍るなど、自分の始めた読書運動が、手の届かないものになってしまったことを嘆いている。

 しかし同時に「読書指導による生活指導運動」などの方針が書いてあり、中田自身は、あくまで自身が選んだ図書群によって「臣民を教育していく」という思想をもっていたことがわかる。

図書館の自由に関する宣言から我々が学ぶこと

 戦後、図書館は戦時中の言論統制の一翼を担ったという痛切な反省から、1954年の日本図書館協会の総会で「図書館の自由に関する宣言」を起草、承認される。

〈図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することを、もっとも重要な任務とする。この任務を果たすため、図書館は次のことを確認し実践する〉 

 との一文で始まるこの宣言は、読んでいると涙が出てくる。

〈1、図書館は資料収集の自由を有する

 2、図書館は資料提供の自由を有する

 3、図書館は利用者の秘密を守る

 4、図書館はすべての検閲に反対する

 図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る〉

 神戸連続児童殺人事件の元少年Aの手記も、書店に放火の脅迫が寄せられた『トランスジェンダーになりたい少女たち』も、図書館は提供する。それは、1の細目に「個人・組織・団体からの圧力や干渉によって収集の自由を放棄したり、紛糾をおそれて自己規制したりはしない」とあるからだ。

 そう、図書館が選ぶのではない、我々が選ぶのだ。図書館はその機会を守るために全力をつくす。

 この「図書館の自由に関する宣言」は、石川県立図書館でも、もっともめだつ場所、総合カウンターの背面の壁に燦然と掲げられている。

 石川県立図書館は、この「図書館の自由に関する宣言」の原点を押さえながら、欧米の公共図書館にも共通する「課題解決」や「本にとどまらない多様な知に出会う」空間をつくり、人口の決して多いとはいえない石川県で、全国一の来館者数を誇る図書館になった。

 そしてこの図書館の成功は持続可能性に苦しむ、現在の日本のメディアにとっても、大きな示唆を与えているように思う。

AERA 2024年5月20日号