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本連載の書籍化第5弾!『鴻上尚史のおっとどっこいほがらか人生相談』(朝日新聞出版)

【鴻上さんの答え】

 かわさん。苦労しましたね。かわさんの通っていた学校は間違いなくブラック校則の学校です。特に、「下着は白無地」(まさか教師が目視で確認しませんでしたよね)とか、「スカートの下に体操着(半ズボン) をはくのは禁止」なんてのは、ブラック校則の典型例です。

 一番大切なことは「生徒」ではなく、「規則」だということです。生徒の気持ちや人権を一番大切にするのではなく、「規則を守ること」を一番大切にしている結果です。

 かわさんが書くように、「多感な時期に、コンプレックスを隠すことを少しも許されず」という気持ちを、少しも重要と考えない人達が決めた規則です。

 なおかつ、許しがたいのは、「うちなんか緩いほうよ」「○○高なんか勝手に前髪切られるんやけんね」という教師の発言です。これは、犯罪を見つけられた人間が言い訳する時に言う言葉です。「自分なんかまだましだ」「あいつの方がひどいことをしている」

 この言い方で免罪されると思うことが信じられません。僕も高校時代、生徒会長としてブラック校則を変えようとした時に、実際、こう言われました。

 怒りで全身が震えるという経験を初めてしました。でも、言った教師は、僕が怒った意味をまったく分かっていないようでした。それは怒りを通り越して絶望でした。

 僕が「ブラック校則」を取り上げると、「もうそんな時代じゃないよ」と発言する人が一部にいます。そういう人は、規則より生徒を大切にする学校に通ったのでしょう。とても素晴らしいことだと思います。

 確かに、全国の心ある校長や教師の努力で「頭髪・服装規定」が廃止されたり、見直される動きはあります。でも、ますます「規則を厳密化」する動きも同時にあります。

 この前、X(旧Twitter)で、「地元の中学では、通学用の自転車のギア数とハンドルの形が指定になっていて驚いた」という文章がありました。一度、細かく規則を作り始めると、際限がないという例です。

 さて、かわさん。

 かわさんの相談は、じつは二つのことがごっちゃになっているような気が僕にはします。

 まずは、中学高校時代の問題ですね。

 かわさんが無意味なブラック校則に苦しめられた気持ちはよく分かります。過去を振り返って、悔しさに震える気持ちもよく分かります。「もっと校則に反抗してればよかった、醜形恐怖症なのでとか言って無理やりメイクしていけばよかった、私の顔写真載せないでって言う権利があることを知っていればよかった」と、歯噛みする気持ちもよく分かります。

 でも、かわさんも分かっているように、これは言ってももう遅すぎることです。言っても変わらないこと、言ってもしょうがないことにこだわることは、とてももったいないと僕は思います。

 それより、かわさんの相談の文章「世の中は身だしなみ規定があるお仕事ばかりです」「まだまだ縛りはなくなってくれません」という文章に僕はひっかかります。

 このことがあるから、余計、かわさんは中学高校時代のブラック校則にこだわってしまうんじゃないかと思うのです。

 かわさん。かわさんは、23歳ですから、まだまだいろんな仕事につく可能性は大きいでしょう。

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