テレビ局では、そんな手間をかけるよりも、国民が喜ぶストーリーで企画を作って流した方が視聴率も上がるという思惑も働く。ある局の番組制作関係者は、「今は、嫌中の企画を流すのは非常に簡単だが、その逆の企画を作るのは非常にやりにくい。局内で邪魔されるし、視聴率が取れないリスクをわざわざ冒す気になれない」と私に語った。さもありなんである。
さらに嫌中洗脳は、野党にも影響を及ぼしている。防衛費の拡大や戦闘機の輸出などの国会での議論を見ていると、立憲民主党の対応が中途半端なことに気づく。一見、自民党の政策に強く反対しているように見えるのだが、よく聞くと、防衛費の拡大そのものには賛成であることがわかる。戦闘機輸出も、内閣が勝手にできるのはおかしいから国会で議論すべきだというような手続き論でケチをつけているに過ぎない。本音では反対したくないのだということが透けて見えるのだ。
これは、そもそも、立憲の幹部の多くが、「中国が危ない」という論理で洗脳されているという事情に加え、与党の政策に反対すると、洗脳された国民から、「中国が危ないのにどうして反対するのか」という批判を受けることを恐れて、明確な反対論を抑制してしまうという事情がある。
ある立憲の議員は、「古賀さん、あまり正直に発言すると、炎上してしまうんですよ」と悩ましげに語った。
こうして、政府自民党が作った「中国が危ない」という言葉に洗脳された国民世論とこれに迎合する大手メディアの共振、さらには自信を失った忖度野党の日和見により、「嫌中」が日本中の「常識」に転化しつつある。