最近、とても心配になることがあった。
例えば、イギリス・イタリアと共同開発する次期戦闘機の第三国への輸出解禁。
今回の決定は「限定的」解禁だと解説はされるが、その「限定」は内閣がいつでも自由に取り払うことができる。日本が戦後継続してきた、武器輸出制限の政策を実質的にほぼなくすのに等しい政策変更だと言っても良い。この先どこまで行ってしまうのか、と心底不安になるできごとだ。
しかし、今回はこの件ではなく、実はもっと深刻な懸念について取り上げたい。それは、日本の平和主義の「常識」を根底から覆すような政策変更が、国民の間で大きな議論を巻き起こすことなく比較的静かに実現してしまう状況が、日本において出現しているという話だ。
さらに、その状況をよく観察すると、ある事実に気づく。それは、国民が、「ある言葉」を提示されると、ほぼ無条件で思考が止まり、反対論を捨てて、従順な理解者に転じるという事実だ。
その「ある言葉」とは何かというと、「中国が危ない!」である。
このような現象が起きるためには、前提条件が必要だ。具体的には、国民の大多数が、中国に対して嫌悪・憎悪感を持つとともに、恐怖感も同時に有するという状態である。しかも、その恐怖感は巨大なものでなければならない。何か得体の知れない、言い知れぬ恐怖感という状況になっていれば効果的だが、今やそうした条件が整ってしまったように見える。
中国に対する好感度は様々な調査において非常に低い水準に下がっている。印象が良くないという嫌中感情が9割に達したという調査もあるほどだ。