芸人になれたときの“武者震い”
宇治原さんは「それだけ芸人の社会的な地位が低かったんだと思います」と話す。
「古い話ですけど、僕らの子どものころって、関西にいたら子どものしつけで『お前、そんなことしてたら吉本に行かなあかん』とか『そんなことしたら吉本に入れたろか』とか言われてましたからね(笑)。もちろん、冗談半分ですけど、そう言ってもいいぐらいの地位だったんだと思います。けど、今はそういうことはない。『お前、そんなんだったら芸人ぐらいしかなるもんないで』なんて、おそらく誰も言わないですよね。この前M-1で優勝した令和ロマンは慶應ですけど、『なんで慶應やのに吉本入ってんの』ってあんまりならなかったと思うんですよ。それは先人の皆さんの努力で、芸人とかお笑いというものの世間的な地位が上がったからでしょう」
最後に、人生で「一番忘れられない一日」を聞いてみると、それまでスラスラと話していた宇治原さんが初めて、「難しいなぁ……。いや、難しいなぁ」と天を仰いだ。
「日々、更新されてないといけないやろうなっていう気持ちがあるんです。一番忘れられへん一日っていうのがずっと変わってないっていうのはあかんのちゃうかなって。でも、強いてあげるなら、吉本のオーディションに受かったときですかね」
宇治原さんの言う「オーディション」とは、毎週日曜日に吉本興業がかつて運営していた心斎橋筋2丁目劇場で実施されていたオーディションのことだ。宇治原さんと菅さんは、それを1年半の間、ずっと受け続けた。
「京大受験と一緒で根拠のない自信があって、必ず芸人になれると思ってたんです。そうでなければ、もともとやってなかったので。合格したときは、開くとわかってた扉がやっと開いた感覚がありましたね。開いた喜びがある一方で『オッケー、やっぱり開いたよね』と来るものが来たなって思いました。しみじみとした喜びと武者震いみたいなものがない交ぜになった不思議な感覚だったのを今でも覚えています」
(AERA dot.編集部・唐澤俊介)