農業に特に興味はなかった
インタビュー中、タカオカさんはときおり写真の話から離れて食料自給率や地産地消など、日本の農業の現状について熱く語った。
しかし、40年ほど前、雑誌の仕事で農家を訪ねる以前は、「農業にはほとんど興味はなかった」と言う。
「でも、現場を見て、驚いたんです。本当に汗を流しながら働いていた。取材を重ねるうちに、農家の人が土の上で真っ正直に生きていることや、農業の大切さ、大変さがなんとなくわかってきた。それに、撮りたいものを撮れる仕事に恵まれました」と、振り返る。
タカオカさんは1955年、滋賀県彦根市で生まれた。「父親は警察官で、官舎のような家に住んでいました」。
少年時代を過ごした長浜市には琵琶湖に面した水田が広がっていた。農家の友だちといっしょに収穫後の田んぼで落ち穂拾いをして遊んだのはよき思い出だ。
しかし、上京して専門学校で写真を学ぶようになると、農業との接点は途切れた。卒業後は人物写真の大家、林忠彦に師事し、80年に独立。雑誌を中心に作家や文化人、市井の人々を撮影してきた。
そんな雑誌の仕事の一つに、85年にダイエーが創刊した生活情報誌「オレンジページ」があった。
「ぼくは創刊時からずっと『オレンジページ』に関わって、全国の主婦や女性の仕事を撮影してきたんです」
農家は女性が主役
主婦のなかには農業をなりわいとする人もいた。農家というのはある意味、女性が主役で、女性がいなければ成り立たない仕事だという。
タカオカさんは盛岡市のリンゴ園に嫁いだ女性を取材した。その女性は有機栽培や完熟リンゴにこだわる夫の姿を通して仕事にやりがいを感じるようになった。自分もやってみたいという気持ちが膨らんだ。
「でも、リンゴは実るまで世話をしたら終わりじゃないんですよ。冬の間も枝を剪定(せんてい)したり、さまざまな作業が1年中、数限りなく続く。話を聞いていくと、これはとんでもなく大変な仕事だなと。それに、涙を流すようなことも絶対にあるんじゃないかと、思った。例えば、収穫期に台風がきたら、もうおしまいですから」
そんなことを笑顔で語り、理不尽でもある自然を相手に黙々と働く姿を目にするうちに、「しっかり撮らなければ、という気持ちに自然となった」。
95年からはJA(農協)グループが発行する家庭雑誌「家の光」の撮影も手がけるようになり、全国の農家を訪ねた。