話は少しさかのぼるが、2016年にグーグルの開発した「アルファ碁」というコンピュータ・プログラムが、国際大会で18回優勝を誇る当時最強と言われた棋士であるイ・セドル九段と対局し、4勝1敗で勝ってしまった。ゲームとはいえ、最も古い歴史を持つボードゲームで無限に近い打ち手がある碁の世界で、人類の叡智と言ってもいい棋士を破ったのである。この「事件」は大きく報道され、人々に衝撃を与えた。
このアルファ碁は、膨大な数の人間どうしのオンライン対局をデータとして入力して、AIが自律的に学習するようにアルゴリズムを開発したものである。このプログラム開発の優れたところは、いくつかの別バージョンとの対戦が何度も試みられて、プログラムのブラッシュアップが行われた点であろう。
私がこの対局で注目するのは、アルファ碁の「1敗」の部分だ。膨大なデータとそこから導き出される完璧なプログラム、さらにそこに磨きをかけるために繰り返された自己学習といった論理的に最強と言ってもいい戦略でも、人間に勝てない部分があるということだ。
3連敗したイ・セドルは、4局目の78手目で前例のない、非常に独創的な一手を打って、この対局で勝利した。アルファ碁による過去の学習成果からすれば、あり得ない一手、確率がほぼゼロの一手だったのである。セドルは過去の全ての経験値が作った記憶ネットワークの中に、それまで3連敗した対局のデータを落とし込み、脳全体を結びつけることによって過去にはない一手を「創造」したのである。だからこそAIを出し抜くことができたのだ。