ロシア海軍を視察するプーチン大統領(アフロ)

 ロシアにとって、オホーツク海は1974年以降、弾道ミサイル搭載原子力潜水艦(SSBN)の聖域(パトロール海域)に、そして「要塞」となった。そのオホーツク要塞には、遠く離れたウクライナとの戦争にも関係していると指摘するのはロシアの軍事・安全保障を専門とする小泉悠氏だ。その理由や盤石性を朝日新書『オホーツク核要塞 歴史と衛星画像で読み解くロシアの極東軍事戦略』から一部を抜粋、引用部分などは削除し再編集して解説する。

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聖域とウクライナ戦争

 第二次ロシア・ウクライナ戦争とオホーツク海の聖域との関係性を考えてみたい。図式化して述べるなら、これは二重の構造をとるものと理解できよう。その第一層は最も基本的なもの、すなわち戦略核戦力による全面核戦争の抑止(戦略抑止)。オホーツク海(あるいはバレンツ海)が聖域である限り、米国がロシアの侵略行為を実力で阻止する可能性は一般に低く見積もる余地があるということだ。二つの聖域とウクライナの戦場は、こうした意味において真っ直ぐ結びついている。

 この基層の上には、ロシアによる戦術核兵器の使用(戦闘使用)というもう一つの層が存在しているが、これは聖域とは結びつかない。地域的核抑止論が前提としているのは、短距離弾道ミサイルや戦闘爆撃機を核運搬手段とする戦場内での戦闘使用であって、これは基本的に陸軍や空軍の任務である。また、2022年秋にウクライナ軍の奇襲を受けたロシア軍がハルキウ正面で手酷い敗北を被ってもなお、戦術核兵器は使用されなかった。このような「特定の条件」において、プーチンという政治家は核使用を決断しなかったことになる。

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小泉悠

小泉悠

小泉 悠(こいずみ・ゆう) 1982年千葉県生まれ。早稲田大学社会科学部、同大学院政治学研究科修了。政治学修士。民間企業勤務、外務省専門分析員、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所(IMEMO RAN)客員研究員、公益財団法人未来工学研究所特別研究員を経て、東京大学先端科学技術研究センター(グローバルセキュリティ・宗教分野)准教授。専門はロシアの軍事・安全保障。著書に『「帝国」ロシアの地政学』(東京堂出版)、『現代ロシアの軍事戦略』『ウクライナ戦争』(ともにちくま新書)、『ロシア点描』(PHP研究所)、『ウクライナ戦争の200日』『終わらない戦争』(ともに文春新書)などがある。

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