リオのカーニバルは「シビアな世界」
「もちろん、お酒を飲みながらのお祭りというカーニバルもあります。でも、トップチームが踊る『リオのカーニバル』は全く別物。数億円規模の優勝賞金がかかっていて、チームの順位が翌年以降の人気度やチームの運営資金の多寡に関わってきます。だから、ものすごくシビアで、命がけと言ってもいい」
そう感じるようになったのは、参加しはじめて4、5年が経ったころ。中島さんは「生半可な気持ちで挑んではいけない」と思い、「いつ最後になってもいいように、毎回全身全霊をかけて踊っています」という。
「リオのカーニバルはドライな世界でもあり、リーダーや運営者と長年の友人のように見えていた人たちでも、結果が残せなかったら、翌年は出してもらえない、という場面を何度も見ました。だから、日本人である僕はなおさらしくじったら次はないなって思ってます」
中島さんがブラジルに渡った1990年代のはじめごろ、現地の人たちにとっては「日本人がサンバを踊る」のは想像できないことだった。ポルトガル語の言い回しに、物事がうまくいかないというような意味で、『日本人のサンバ』があるほどだった。だが、当時と今とでは状況が変化していることを実感している。
「リオのどのチームの人でも、日本でもサンバをやっている人がたくさんいると知ってくれるようになりました。日本からサンバ留学で来る人の話もよく聞くようになりましたし、以前はサンバを習いに行っても門前払いでしたが、いまは話は聞いてもらえる。27年間、頑張ってきたかいがあったなと思っています。もちろん、僕だけの力ではないし、誰かを助けるためにやったわけではないですけど、変わってきた現状を見ると、胸にこみあげてくるものがありますね」
1992年からサンバを始め、人生の半分以上をサンバに捧げてきた中島さん。一つの節目と考えているのが、30回連続出場だ。順調にいけば、3年後の2027年には達成できる。中島さんは言う。
「そしたら、初めて自分を褒めてもあげてもいいかなと思ってます」
(AERA dot.編集部・唐澤俊介)