悔しくて過呼吸になったことも
「ポジションが決まったときに、友人から『帰り道、気をつけてね。獲れなかった人に襲われちゃうかもしれないから』と言われたこともあります」
なかでも、中島さんには忘れられない出来事がある。ブラジルに来て、1~2年が経った頃のことだ。
中島さんは、3カ月にわたって行われていたダンサーのポジションを決めるオーディションで、最終候補に残った。「『このまま獲れるんじゃないか』とやる気に満ちていました」。いざ迎えた最終選考の日、チームの練習場に行くと、リーダーに別室に呼ばれた。彼の口から出たのは、耳を疑うような言葉だった。
「棄権してもらっていいですか?」
当時、中島さんにはその意味が呑み込めなかった。
「よく聞く話で今となれば驚きはないんですが、リーダーの義理の弟がオーディションの中に入っていて、要は出来レースだったんです。結果は決まっていますけど、イベントとして引っ張ったほうが面白いし、盛り上がるという理由でやっていただけで」
納得できなかった中島さんは、リーダーの提案を断ったという。
「受からないとわかってて踊らなきゃいけないし、それも笑顔で……。すごく複雑な心境でしたね」
結果は予定通り、義理の弟が選ばれた。帰宅した中島さんは、号泣し、過呼吸になってしまった。
「指がしびれて、手が縮こまって固まってしまい、しゃべることもできなかった。あんなに悔しい思いをしたのは、後にも先にもあのときだけですね」
リオのカーニバルは、日本でイメージされているような、楽しいだけのイベントではなく、中島さんが経験したように厳しい一面もある。さらに、なかには貧民街の出身者がサンバで成功をおさめ、有名人となるなど、人生を一変させるイベントでもあるのだ。