イチローや大谷と違い、特別な場所ではなくとも常に英語で通訳なしにインタビューなどに対応していたのが、川崎宗則(ブルージェイズなど)だ。メジャーリーグ時代は成績的には目立ったものはなかったが、全力プレーはもちろん一生懸命に英語を話している姿は、3年間プレーしたブルージェイズの本拠地カナダなどで好評を博した。
「米国で野球をできることが嬉しく、文化も含め積極的にチームに溶け込もうとした。明るい性格だが気を使い過ぎるタイプなので、無理をしていた部分もあるはず。そういった部分を含め川崎の人間性が伝わり、チームメイトとの素晴らしい関係性を築けたのだろう」(元ソフトバンク関係者)
川崎自身はのちにテレビ番組で英語が得意でなかったことで、誤解を生んで大変なこともあったエピソードを明かし、「通訳は必要」だという意見を述べていた。だが、現地では拙くとも英語で話すことがポジティブに受け止められていたのは間違いなく、多くのインタビュー映像とともにメジャーリーグ公式サイト『MLB.com』は川崎の引退を伝えるほどだった。
「対照的に石井一久(ドジャースなど)は米国4年間で必要最小限の英語しか話さなかった。グラウンド外では毎日のように自宅へ日本人関係者やマスコミを呼びゲーム大会を行っていた。野球だけのために米国生活をしていたようだった」(在米スポーツライター)
「私の名前は石井一久です。カズと呼んでください。あとの質問は日本語でお願いします」(英語での受け答え)。ドジャース・キャンプ合流直後の記者会見でのやり取りは、その後の方針を表しているようだった。
それぞれ日本人選手の英語へのアプローチや能力については差があるが、どこにいても高い英語力でコミュニケーションをとっていた日本人選手も存在する。
「(非常に英語が流暢だった)長谷川滋利はオリックス時代から英語力を磨いていたのは有名。それ以外ではマイナー生活が長い選手は日常会話を含め高いレベルの英語を話せる。大家友和や田口壮は通訳なしでプレーしながらマイナーからメジャー昇格を果たしただけに、英語力も折り紙付き」(在米スポーツライター)