生前の初美さんと撮った家族写真
 

「細かい経緯は思い出せませんけど、この子と付き合うのは俺だって勝手に思って、電話番号を聞き出して電話しまくったんじゃなかったかなあ」 

 初美さんが生まれた1966年は、60年に一度めぐってくる「丙午(ひのえうま)」の年。丙午に生まれた女性は気性が激しいという迷信があるが、初美さんはそれを自認していた。 

 ダンカンさんが仕事の愚痴をこぼすと、“喝”が飛んでくる。 

「じゃあ、やめなさいよ。あなたみたいに好きなことを仕事にしている人なんて、めったにいないんだからね」 

 落ち込んだ時は、「なーに深刻に考えてんのよ!」 

 幼少期から日本舞踊を続けてきたという一面があり、年下のしっかり者。きっぷのいい性格で、一生懸命に向き合ってくれる初美さんにほれ込み、ほどなく結婚した。 

 とはいえ、「遊びは芸の肥やし」といった言葉がまかり通っていた昭和の芸人の世界。20歳そこそこの若さで、その芸人を夫に選んだ初美さんが、芸人行きつけの居酒屋のママに、妻としてどんなふるまいをすればいいのかと相談していたことは、後になって知った。 

料理が上手だったんですが、それもそのママに教わっていたようなんです」 

 3人の子どもにも恵まれたが、ダンカンさんは家事も育児も初美さんに任せっぱなし。芸人仲間と飲み歩いては家に連れて帰り、そのたびに怒られた。 

 松村邦洋さんと酔ってじゃれあっていると、「松村! あんたが来るからふざけるのよ!」 

 風呂に入る金もなく、いつも足が臭い芸人がたまに家にやってくると、 

「またあんたね! 外のバケツの水で足を洗うか、足首から下を切り落とすか、どっちかにして!」

 酔客だらけの、やたらにぎやかな家。その輪の中にいた初美さんのお説教には、いつも愛とユーモアがあった。 

「妻に任せっぱなしの夫でしたけど、芸人としてあえてそうしていた部分もありました。60歳だとか、そのくらいの年齢になったらちゃんと落ち着いて、妻を大切にする暮らしをしよう。そんな未来予想図を描いていたんです」 

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