だが、初美さんは40歳を前に乳がんを発症。数年後に再発し、47歳の若さで旅立った。 

 仕事への意欲が湧かなくなったダンカンさん。でも、 

「好きなことを仕事にしている人なんて、めったにいないんだからね!」 

 とまた初美さんに叱られている気がして、仕事に向かった。 

 育ち盛りの子どものために、ほとんどしてこなかった家事もしなければならなかった。 

「ママリンが子どもにしたかったはずのことを自分がやろう」 

 そんな思いが湧き、本を買って料理を学んでみると意外にもハマった。子どもの弁当も、冷やし中華弁当、阪神弁当……、レパートリーがどんどん増え、前向きに楽しめるようになった。子どもが持ち帰った弁当箱が空になっていると、素直にうれしかった。 

「保冷剤を入れた『刺し身弁当』を持たせたときは、生臭くてこんなの食べられないよって叱られちゃいましたけどね(笑)」 

 子どもの野球のユニホームは泥だらけで、いつも手洗いだ。仕事から帰った夜中に、ごしごしと洗って乾燥機にかけ、朝までに乾かしておく。最初はきついと感じていたが、ある時、気持ちが変わった。 

「この泥を落とせば、息子が明日の試合でヒットを打つかもしれない。だから、少しでもきれいにしようって思うようになったんです。その時、同じことを考えながら一生懸命手洗いをしている妻の姿が思い浮かんで、妻と一緒になれたような、そんな感覚に包まれました」 

 初美さんが亡くなって5年が経った頃から、少しずつ心も変化した。 

「ママリンは若くして亡くなったかわいそうな人ではなく、若くてきれいなまま、みんなの記憶に残り続ける。女性として幸せなことなんじゃないか」 

 自分の人生も、長生きできるに越したことはないが、突然ポックリ逝ったとしても、どのみち初美さんにまた会える。 

「自分はいいポジションにいるんだなって。そんな風に思えるようになりました」

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