その後、千葉県柏市の「麺屋こうじ」に移る。「麺屋こうじ」は「東池袋大勝軒」山岸さんの弟子である田代浩二さんが手がけるグループ。「中華蕎麦とみ田」の富田治さんや「麺処ほん田」の本田裕樹さん、「麺屋一燈」の坂本幸彦さんなど、その後超一流の名店を作るメンバーも同グループにいて、同じ時代を共にした。
独立前提で3年間働き、06年「大黒屋本舗 春日部店」を買い取って独立した。昼は大勝軒系、夜は角ふじ系(二郎インスパイア系)のラーメン、つけ麺を提供する店だった。

その後、13年に埼玉県草加市で自分の名前を冠するお店「NOODLE STOCK鶴おか」を開業。鶏白湯ラーメンとつけ麺をウリにしたお店で徐々に味を進化させていく。はじめはお客がなかなか集まらなかったが、限定ラーメンを出すたびに口コミサイト「ラーメンデータベース」の口コミが盛り上がり、客数が増えていった。
ここで転機が訪れる。夏に限定で出した油そばが口コミでバズり、お客が急増したのである。この油そばが後に「Handicraft Works」で提供する「ワイルドパレット」のヒントになっている。何十回もリニューアルしてブラッシュアップを重ねるたびに、この油そばをメインにした店を作りたいという思いが湧き上がってきた。
「『鶴おか』ではラーメンを売っても売っても利益が出なかったんです。ラーメンはブラッシュアップをしていくたびに原価などの問題が付きまとってきます。ラーメンだとどうしても他の店と比べられるので、そこから脱却できないかと考えたんです」(鶴岡さん)

■模索した「ギリギリ」のラーメン 1000円の壁との戦い
他のお店と比べられずに、ギリギリ「ラーメン」の範疇に入る商品を作り上げれば唯一無二になれるのではないかと考えた鶴岡さんは、以前バズった油そばをヒントに新店の看板商品を模索し始めた。
他の業態の店も積極的に食べに行き、新店の油そばは「牛肉」にフォーカスすることに決めた。はじめはステーキを乗せることを考えていたが、コストがかかるのと、焼くのがものすごく大変なことから断念。いっぺんにたくさん焼けて絵になる牛肉料理はないかと考えていくと、ひとつの答えに行き着いた。「シュラスコ」である。
