しかし私は、「数こそが大切なんだ」と学生たちに説いています。女性管理職問題にしろ、ジェンダー問題にしろ、大切なのはマジョリティに対してマイノリティが何割占めているか、そしてどれくらい大きな声を上げられているかです。仮にある企業で管理職が10人いたとして、その中で女性管理職が1人しかいない状態では、何か問題が生じた場合、「だから女性は……」と、ジェンダーのせいにされかねません。
しかし、これはフェアではありません。仮に男性管理職が何かミスをしても、「これだから男性は……」とは誰も言いません。それなのに女性の場合は「これだから女性は……」と、性差すなわち属性の問題に集約されてしまう。
日本で外国人が犯罪をした場合も、これによく似ています。「日本人だから犯罪をした」とは誰も言わないのに、少数派である外国人が罪を犯した時は、「外国人」であることが真っ先に強調され、報道されます。これは日本における外国人比率が、諸外国に比べて圧倒的に低いからこそ起きる現象です。
こうした属性の偏見を避けるためには、やはりマイノリティが社会に占める割合を増やし、声のボリュームを高める必要があります。仮に10人の管理職のうちせめて3人を女性が占めるようになれば、そのうちの1人が何かミスをしても、「女性だから」とはなりません。あくまでも個人の責任、個人の事情になるのです。だから、政府が女性管理職比率の目標を3割にするのは意味があるのです。
同様に仮に将来日本に女性総理が誕生しても、たった1人だけの時代は、「だから女性首相は……」と言われかねません。日本で女性首相が複数名誕生してようやく、「〇〇首相は」と個別に評価されるようになるのです。