そうした影響もあり、学生の頃から「アメリカの大学に行ってみたい」という夢を持っていたが、どう動いたら実現できるのかわからなかった。アメリカに行きたいという夢に向かって勉強を頑張っていたわけでもなく、英語も話せない。家が裕福なわけでもない。だが「いつか」という思いを、遠くて淡い夢として、心のどこかで抱えたまま、東京で水商売をしていた。

 突如アメリカが近いものとなったのは、都内のクラブに遊びに行った時に日本に住むアメリカ人男性と偶然出会って意気投合したことがきっかけだ。出会いから数カ月の交際を経て、結婚。図らずも、アメリカの永住権を手にすることとなった。

離婚、当てもなく渡米

 結果的に、その男性とは価値観の相違などから数年で離婚することになったが、アメリカ人との結婚によって手にした永住権は、一度取得すると離婚しても取り消しにはならない。そこで「せっかく永住権もあるし、アメリカのほうが稼げそうだし、本当にアメリカに行ってみようかな」という思いが、離婚後にむくむくと湧き始めた。当時、勤務していたスナックの同僚がアメリカで風俗の仕事をした経験があり、「すごく稼げるよ」と話していたことも後押しになった。

「よし、私もアメリカに行ってみよう」

 英語も話せず、働く先の当てもなかったが、思い切って渡米を決めた。

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アメリカの中国人オーナーの風俗店