昨年末の「わたなべゆうこの会」との懇親会。この日、遅れてかけつけた田中紘和は、初めてリアルに会う田中に対し、「漢字が違うので会に入れなかったが、やっと入れた。嬉しい」と喜びを語った(撮影/東川哲也)

20年前に語った野望 バスツアーも会社化も実現

 そんな個人的な経験から「同姓同名の人たちとつながりたい」と考えた田中が、03年に東京都渋谷区でデザイン会社を経営する「田中宏和」と挨拶を交わしたことを皮切りに、地道に同姓同名の人々とつながり続けてきた。24年2月現在、計250人という一大コミュニティーに成長している。

 端的に言うならば、個人的な遊びに過ぎないが、田中はこの「遊び」に実に生真面目に取り組み、その輪を広げてきた。

 実は私は、わずか2人時代の「田中宏和の会」を、朝日新聞の週末版「be」の連載企画「こだわり会館」で04年に取材した経験がある。作家の荒俣宏(あらまたひろし)を「館長」に迎えてマニアックな人々を紹介する企画だったが、荒俣からご紹介いただいたのが、田中宏和その人だった。

「何を目指しているのか」と尋ねたところ、田中は意気揚々と野望を語った。

「社員は全員、田中宏和。そんな会社を作りたいですね!」

「田中宏和さんたちと一緒にバスツアーに行ってみたいなあ!」

 その奇想天外な回答に「はっ?」と驚きつつ、田中宏和でいっぱいの会社やバスを想像したら笑いが止まらず、取材にならなかった。

 あれから20年。田中はひたすら同じ名を持つ人たちとつながり、「オフ会」と称して某所で集まり、二重の円になって名刺交換会を開いたり、楽曲「田中宏和のうた」を作ってインディーズデビューを果たしたりして、「名前が同じ」という状況から偶発する面白さを楽しんできたのだった。

「野望」も実現した。09年12月、9人の田中宏和が貸し切りバスに乗り込み、長野県に暮らす2人の田中宏和を訪ねる旅に出た。その後、本格的にギネス世界記録を目指す態勢を整えるべく、「一般社団法人 田中宏和の会」を14年に設立した。

 そして「同姓同名の集い」というカテゴリーでギネス記録まで打ち立てた。

 2011年と17年に挑戦するも達成ならず、漢字表記にこだわらない「タナカヒロカズ運動」へと軌道修正したうえで、22年10月、178人の「タナカヒロカズの集い」として世界記録に認定された。残念ながら98日後に、セルビアの「ミリツァ・ヨバノビッチ256人」が記録を更新。だが後日談もユニークだ。

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