セルビア大使館で駐日大使のアレクサンドラ・コヴァチュと。今後の野望を「ニューヨーク近代美術館でのタナカヒロカズ展」と伝えると、大使は「人の存在自体に意味があることを表現するアートですね」(撮影/東川哲也)

現代の三田平凡寺か 子に宏和と名付ける親も

 さしもの荒俣も「あの時の田中宏和の会がいまだに続いてて、ギネス記録までとっちゃうとはねえ」と、感心しきりである。そしてこう続けた。

「タナカヒロカズ運動って、三田平凡寺に通じるものがあるよね」

 三田平凡寺。明治期に「我楽他宗(がらくたしゅう)」という一大ネットワークを築いた謎多き奇才だ。無用のモノを集めることを人生の目的とする「我楽他宗」は宗教ではなく、モノ集めと平凡性を重んじ、我を忘れて遊ぶことを推奨する「運動」だった。

「無用の遊びを真剣にやって、ネットワークが全国に広がってる。ちょっと似てるでしょ」

 確かに。現代の三田平凡寺、なのだろうか?

 田中は京都市の中心部、木屋町で生まれ育ち、幼少期から読書と面白いことが好きな子どもだった。吉本興業が運営する京都花月劇場の隣の公園が遊び場で、劇場に出入りする芸人を横目に野球に興じるような日常だった。

 小学6年の時にYMOのテクノサウンドを知り、坂本龍一のソロアルバムに衝撃を受けた。哲学書を中学生で読み始めるとともに、タルコフスキーやゴダールなどの前衛的な映画も鑑賞。大人気サブカル雑誌「ビックリハウス」も愛読した。

 神戸大学に進み、バイトで始めた塾講師に夢中になり、教え子の親から「お見合い」をすすめられるほど見込まれた。一方でマルクス経済学者の置塩信雄にも心酔し、大いに学んだ。卒業後は東京の広告会社に就職。運命の「ドラフト会議」は入社4年目のことだ。

「我楽他宗」よろしく、タナカヒロカズ運動も各地で楽しまれている。

 岐阜県土岐市の建設業、田中宏和(81)は、17年の「集会」に、妻(78)と2人、生まれて初めて東京行きの新幹線に乗ってやってきた。

「あの時はスポーツ紙に掲載された『全国大会』の記事を、ご近所が教えてくれてね。新幹線から見えるもの全部が珍しくて、楽しかったなあ」

 「運動」の存在を知りつつ、我が子に「宏和」と名付けた父もいる。田中宏典は、「運動」の話題をメディアで見るたびに妻と「あとひと文字だったのに」とジョークを交わしていたが、平成最後の年に長男が生まれると、迷わず「宏和」と名付けた。

「一生使える『ネタ』があるのって楽しいじゃないですか」

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