1989年に発表した論文「歴史の終わり?」で、西側諸国のリベラリズムが、人間のイデオロギー的進化の終着点なのではないかとの見方を示した、米国の政治学者のフランシス・フクヤマ氏。大統領選を控えるアメリカで、また指摘される分断。それでもリベラリズムが信頼を回復するために必要になる処方箋とは? 2月13日発売の最新刊『人類の終着点――戦争、AI、ヒューマニティの未来』(朝日新書)から一部を抜粋・再編して公開します。
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――民主主義の中にあっても、幅広い政治勢力で不満がたまっているのですね。あなたは、著書『歴史の終わり』で、リベラリズムの本質的な弱点を論じています。「リベラルな民主主義は自己完結しないものだ」と述べていました。それは「リベラリズムそのものからは生まれてこないコミュニティ(共同体)に依存しているからだ」と。
米国の民主主義を分析したフランスの思想家、アレクシ・ド・トクヴィルは「正しく理解された自己利益」の重要性を強調しました。しかし、自分の利益を正しく把握するのは、実はとても難しいことです。リベラルな価値観では、自己利益や個人主義を強調するあまり、リベラル民主主義の力である自律性を蝕んでいるのかもしれません。この点についてはどのように考えていますか。
フランシス・フクヤマ:たしかに、トクヴィルは「正しく理解された自己利益」について論じています。ですが「米国人の連帯の技法」にも触れています。「米国人は、様々な目的で自発的に連帯を生み出すのが得意である」とも述べています。これは実のところ、質の良い民主主義を維持することに関連する能力なのです。